月曜日, 2月 28, 2005

30越えた女の気持ちなんて、あなたには分からない

クリエにBluetoothを付けようと思ったら、
ことごとく規格違いのものを購入してしまい
使えませんでした。
パッチを当てて試してみます。

映画「東京タワー」の中で、倉田真由美が
フラメンコと不倫の関係の両方ににのめりこみながら
今日のタイトルのような台詞を口にする場面があります。

さて、時々不思議に思っているのは、
どうしてメークだけで、自分の気に入らないところを
「なんとかしよう」としてしまい、それでよしとする心理が働くのか、
というところでした。
絶対的な価値基準を持ってしまうと
それでよしとはどうしてもならないからです。

何かの本に、女性が美を求めるのは本能的であるために、
その欲求が非常に強い、というくだりがあるのを見つけました。
個人差が大きくあるのでしょうが、
とにかく、「今」をなんとかすればそれで事足りるようなのです。

美にまつわる葛藤はなにも女性に限りません。
戦国時代では茶器を争って国を賭けた戦いが起こったし、
第二次大戦では戦争に勝った国が負けた国の宝物などを
持ち去って現在でも自国の美術館に展示しています。
そして性的なものへの規制は山ほどあるのに、
同じくらいの誘惑を持つ美的なものへの規制がほとんどありません。

そこまでして人が追い求める「美」とは何なのか、
しばらく考えてみようと思います。

バッティング練習場で速い球を打つ

ゆとり教育の見直しと言われますが、
教育指導要領はいったい誰のものなのでしょうか。

儒教的感覚には「血族」という意識が残っていて、
世襲を重要視します。
この場合西洋の「個人」にあたるものは存在しません。

儒教の負の側面として、
概して親がこどもを自分の「もの」として考えてしまいがちになります。
個人とは、たとえ自分の子供でも「個人」なので、
家族としてのまとまりとは別に人格を認めることになります。

では東洋ではみんな儒教的かというとそうではなくて、
仏教は個人を明らかにしています。

お受験だとか塾通いだとか言いますが、
一歩間違えば、言葉は何であれ「自分の子供だけは」という
親の欲がさせる競争です。
そんな欲深く醜い親に育てられては子供がかわいそうです。

勉強法についてあれこれ言われていますが、
暗記や試験が一概に良いとか悪いとかという問題でもありません。

バッティングに行って、90km/hのボールを打つのが難しくても、
最初に110km/hのボールを見ておくと打てたりするものです。
一度現場で必要とされる以上の訓練によって、
ここ一番を確かなものにしていく、という方法は
理にかなっている部分があると思います。

さて、Windowsでマウスを使って操作できるプログラムでは、
どんなに小さなプログラムでも最低限のGUIコードが埋め込まれています。
そしてWindowsの機能が拡大していくと、
最低限必要なコードの量も増えていったのです。

「最低限のコード」に相当するものが初等教育であるならば、
社会が成熟していくに連れて必要な教育量も変化していきます。
ただそれを学校で学ぶか社会で学ぶかの違いだと思っています。

めぐりめぐって学習指導要領の改善というのは、
あくまでこどもたちが自分の考えを表現しながら
助け合って生きていけるようにするためのものだと考えます。
世界的な格付けのためとか、経済のためとかであれば
とりたててやる意味はありません。

麻酔手術

土曜の小運動会で右腕が筋肉痛です。
日曜日は久しぶりに意識を失ったように眠っていました。

情報を発信したほうがいいのか、しないほうがいいのか
時折考えることがあります。

情報公開という言葉が取り上げられるようになって、
官庁などが非公開にしてきた文書を公開するようになりました。
ところが、公開した情報はあまりに膨大で、
しかも内部の人にしかわからないような分類のままだったので、
「公開した」という事実だけを作り
「公開されたことの意味」が得られないままでいることが問題だと
思っています。

情報戦の中では稚拙なやり方だと思いますが、
大量の「必要性が薄い」情報の中に「重要な」情報をちりばめると
情報の価値が下がって使いづらい情報になります。

このような、一見悪意のないようで大きな罪のある行動に出た部門を
取り締まる法は存在するのでしょうか。

それでは全く打つ手がないかというと、
現代ならスキャナとOCR、数人の人手があれば
デジタル処理化して計算機に情報を検索させることが可能です。
官庁の情報には著作権が存在しないので、
必要であれば情報をネットに乗せてボランティアで読んでもらうことも
可能です。

地球外生命体を探すプロジェクトや、
ゲノム解析のプロジェクトなどでは、世界中の「あまった計算機資源」を
活用した作業が進められています。

それでは、人は何でも知ればいいかというと、
「何でも」というところには疑問が残ります。

デジタル情報には「誤り補正」という機能があって、
それは通信の途中でビットが間違って発信されても
それを見つけられる機能のことなのですが、
だからといって「人は空を自力で飛べます」といった内容の誤りまで
補正してくれるわけではありません。

ひどい殺人事件が何度もおきました、
だからこの街は危険です、という表現は
正しいようで正しくありません。
殺人事件は主に個人的な人間関係から生じるもので、
街や地域に根ざした問題から生じていない限り
街そのものとは関係がないからです。

ニュースが取り上げる事柄は
そもそも「問題がある」事柄が多いため、
都内のカルガモをたくさん報道するのは
ニュースの内容が少しでも中性になるようにするためでしょうか。

情報を受け入れ、処理するには相応の知的体力が必要です。
だからといって情報が都合よく隠蔽されていい理由はどこにもないのですが、
どうなっているか気になるでしょうから
麻酔せずに手術して差し上げましょうかとお医者さんが言ったら
ほとんどの人が断るのと同じで、
知覚できないからうまくいくことというのは
確かに存在するのです。
それは人が万能ではないから起こる必然であって、
それそのものは受け入れる必要があります。

アインシュタインの本の中に、
人間性に絶望してはいけない、
なぜならわたしたちは人間なのだから、というくだりがあります。
この言い回し、すこし気に入っています。

木曜日, 2月 24, 2005

ディズニー振り袖は無理がある

難しくないパソコンの使い方として、
バーコードを読ませて動くようにしたら便利だと思いました。

ホームページのアドレスなんかをバーコードにして、
机に貼るとマウス操作なしですぐ呼び出せます。

天神地下街で、着物やさんを見つけました。
テーマごとの振袖、と銘打って、
ディズニーシリーズの振袖というコーナーが作られていました。

きっとディズニーが好きな人にはたまらない一品かもしれませんが、
アラジンのお姫様がつけていた髪飾りのようなものを
着物と一緒にまとうのはやっぱり無理があると思います。

個人的には、
洋服に対してのこだわりは、あるようなないような感じです。
洋服そのものが絶対的にきれいということはなくて、
着る人の体形やしぐさが大きく影響すると思っています。

宮沢りえが男性のシャツのCMで登場していて、
その白いシャツは無地で泥だらけなのですが、
彼女が着ていると絵になるのを見て、
シャツのデザインがいいから泥だらけでもよく見えるのか、
着ている人が印象的だから泥だらけでも良く見えるのか、
しばらく考えました。

洋服を買いに行くと、店員さんの中には
売り上げることだけを考えて
良くお似合いですよ、と似合っていないけれど高額な洋服を勧め、
買ったほうはそのブランドと値段に満足している、
という光景が時々見られます。
売るほうも買うほうも、これでは精神的に満たされず
両方不幸なままです。

女性でも男性でもそうですが、
行動を面倒に思う姿は綺麗ではないと思います。
自分の体形を変える努力は時間がかかったとしても、
その事実に目をつぶっているより良いことです。

静止画と動画、質が求められるのは静止画です。
静的な存在を美しく感じるのは難しく、
パソコンでも静止画と動画では、動画のほうが
画質が落ちても気になりません。
逆に、化粧品のポスターに起用された女優の大きな写真は
よほど完全に作らないと綺麗には見えません。

これより、人が動いている姿というのは、
静的な自分の姿以上にその人を美しく見せることが
できるということになります。

アメリカ流の発想では、
早く稼いで仕事を辞めたい、と考えるのだそうですが、
そういう人たちはフロリダの保養地などで
テレビを見て、ゴルフをして、ダンスをして、
しかしつまらなさそうに過ごす人が多いのだそうです。

それは「人から必要とされる」という、
人の喜びを失うことからきているのだ、ということに
意識の上で気がついていないからかもしれません。

社会性というのは理性のように取り扱われますが、
人間の本能の一部です。
蟻が社会生活を営んでいるのを考えれば、
それが最初から遺伝子に組まれた行動だとわかります。

自分が動き、何かが喜ぶ、
そんな循環を繰り返したいなと心から思います。

水曜日, 2月 23, 2005

自分の街のガイド本と、恋愛のスキルについて

福岡に半年ぶりぐらいに戻りました。

新しく地下鉄線ができていました。

福岡で育ったわたしが、福岡のガイド本を買うことは
自分にとって珍しいと思っています。
本当は地元にいるときが一番ガイド本を役立てられるのですが、
「犬も歩けば」を信じすぎていて、
適当に歩いて探してしまい結局見つからずに終わることも
時々あるのです。

槇原敬之の歌の中に、
同じキスを何度も繰り返して
その中で世界で一番素敵な人がみつかることを信じてる、
という意味のくだりがあります。
確かに人の出会いとは縁があるものですが、
待っていると運命の出会いがある、というわけでもないのです。
運命はいいものが一点買いでやってくるわけではないのです。

ガイド本においしいものが載っている、
それは便利で確かなことですが、
ただ、それでも時々てぶらで歩き回ってしまうのは、
誰かが見つけた何かではなくて、
自分の力で見つけた何かであることに意味がある、
ということを心のどこかで認識しているからだと思います。

木曜日, 2月 17, 2005

中途半端な科学

PhotoShopとDreamWeaverは不明なエラーが出て
同時に立ち上げることができません。
一種の排他的関係にあるソフト会社なのでしょうか。

アメリカの研究者が来日されていたので、
筑波山まで梅を観に行きました。

今日は3分咲きでした。

ジャスコに買い物に行き、
電解水クリーナーというものを手に取りました。

暮らしの中に浸透した化学製品は、
生活を本当に便利にしたかと疑問に思うことがあります。

消臭剤にしても、
炭でよかったものを石油化学合成の香料にしたり、
洗剤も食塩かミョウバンか酢で落ちたような汚れを
やはり石油化学合成の界面活性剤で落としたり、
銅でできた流しのフィルターならカビがつかないのに、
塩素系の殺菌剤をつけたカートリッジを作ったり、
「科学がないと不便だ」と思い込ませる環境を作ってしまいました。

それは消費物を継続的に生産したい会社が
生き残るために考えたことであって、
消費者のことを考えて製品を作ったのではありません。

安くて、便利で、環境に優しい、
科学的に合理的なものを
生産者は意図的に隠してしまったのです。
科学が広がらないのもわかる気がします。

本当の科学とは、確かに楽ではありませんが、
人のさまざまな要求を満たし、自然の循環と符合するような
技術のはずです。

台所用品や日用品には「中途半端な科学」が
たくさん存在しています。
便利です、という言葉の裏に隠された
「科学がないと不便だ」と思わせるメッセージに
気をつけてみてください。

水曜日, 2月 16, 2005

恐怖によって人を動かしてはいけない

テプラで機器のコンセントに名前をつけました。

デスク周りにコンセントが16本ぐらいあり、
区別がつかなくなってきたためです。
テプラはバーコードも作れることを今日知りました。
情報管理にバーコードを導入しようと思っています。
コードはITFです。

テレビ局では、他局の不祥事やスキャンダルが起こると
声高に報道します。
フジ株が買われている状況については
NHKが当事者の社長を呼んでニュース番組でインタビューをするようです。

この「報道合戦」は、眺めていると
「自分の局だけ勝てばいい」と他局を蹴落とそうとする姿勢が見られます。
その放送がどれだけ醜く映っているかにはあまり関心がありません。

視聴料の議論では「公正で中立の立場をとる必要がある」と言いながら、
朝日新聞に政治とのつながりを指摘されると
民放ばりにラグビーの試合中継を勝手に変更する、
NHKがとった行動は模範に足る姿勢だとは思えません。

通常の市民にとって、通常行動とは肉体的な動きを指します。
「口が悪いけどいい人」という表現が成り立つのは、
言葉はがさつでも行動が細やかだったりするという意味です。

ところが報道にとっては言葉自体が「行動」に当たります。
ゆえに報道は「何でも言ってよい」状況は作れないのです。

ネットのリンクバナーを見ていると、
「隣のあの人はもう始めてる」というサブタイトルで
就職セミナーや転職サイトの斡旋を謳う宣伝が掲載されています。

この言葉、どこにも角が立たないようでいて、
脅迫めいた言葉に映ります。

隣のあの人がもう始めていて、
乗り遅れたらあなたは損をします、
だからあなたは一刻も早くこの情報を手に入れなさい、
そしてあの人に遅れないようにしなさい、
こう書けばとてもいやな感じが良く出せます。

イラク戦争には同じ論理が使われました。
海向かいの国がもう核兵器を生産していて、
ミサイルを打ち損ねたらあなたの国が被害を受けます、
だからあなたは一刻も早く派兵しなさい、
そしてあの国から戦力を剥奪しなさい、
こう書けば宣伝文句と先制攻撃が同一のものであることが
わかります。

魔女狩りにも同じ論理が使われました。
近所のおばさんがもうあなたのことを魔女と疑っていて、
黙っていたらあなたが魔女だと告発されます、
だからあなたは一刻も早く近所のおばさんを魔女と訴えなさい、
そして魔女をこの街から消してしまいなさい、
人が終わりのない不安に陥れられて、
結果として罪のない人がたくさん殺されてしまいました。

文化大革命にも同じ論理が使われました。
文化人はその知性によって中華の国を転覆させる可能性を秘めていて、
ぼんやりしていたら政権の座を奪われてしまいます、
だからあなたは将来の不安材料を粛清しなさい、
そしてあなたの政権を確かなものにしなさい、
毛沢東の被害妄想はこう訴えたはずです。

時々思うのですが、
一般の人たちに制御理論を教えるといいと思います。
フィードバックを元に動くシステムは、
ゲインが大きすぎると系が不安定になって破壊するのです。

現代人はおそらく、「知は力なり」を信じて
ひたすら情報を集めようと腐心しているように思います。
集めた情報をどうフィードバックすると安定化するか、という問題について
ほとんど誰も思いを寄せません。

わたしは、恐怖を原動力とした人の行動の誘導は、
それがどんなに良い結果を生んだとしても、
人に猜疑心を持たせ、無意識の恐怖を持たせる意味で
重罪だと思っています。

火曜日, 2月 15, 2005

デジタイズという手間

銀塩写真はアナログで、
スキャナに取り込む過程を通してデジタル化します。

手描きのラフ・スケッチも
タブレットのトレースを通してデジタル化します。

配布資料は
スキャナとOCRを通してデジタル化します。

デジタル・データを導入する利点というのは、主に
・複製が役に立つこと
・再利用が役に立つこと
・検索が役に立つこと
・計算が役に立つこと
に限定されます。

例えば、判例のデータをデジタル化する企画を考えた場合、
上記の利点によって仕事の効率が高まることが
採用の条件になります。
そして、デジタル化する上で「そのデータを再利用できるよう」心がけることが
重要なテーマになってきます。

情報を探す時間をいかに減らせるか、というのは
仕事の効率を決める上で重要です。
紙のままでは検索ができませんが、
OCRでデジタル化すれば検索ができます。
検索結果は引用に役立ちます。

デジタルデータを作り始めてから、
それが「役に立つ」ようにするまでには
少し時間がかかる、という覚悟が必要です。
デジタルデータを作る時間と、書類を探し再利用する時間との
トレードオフが起こるまで、しばらく我慢です。

わたしの場合、研究用に作ったPPTのデータが再利用されるまでに
1年程度かかっています。
しかし一度製作してしまうと、最初にデータを製作した時間の1/10程度で
再利用用のデータに書き換えることができます。

この意味で、パソコンはひとつの工場であり、
データの拡大再生産によってその価値が高まっていくものです。

高いワープロソフトを買った、ドローイングを買った、
しかし何もできなかったという経験は
誰にでも一度はあると思います。
使い方が難しいのもあるのですが、
そのソフトで作ったデータがあって、
始めてソフトは役に立つのです。

今を生きなければならない、が、未来には予定が入る

飛行機雲が浮かんでいました。

土地も空も、挙句の果ては星の名前まで
人は名前をつけて法律を作り自分のものにしようとしていますが、
それは誰かが勝手に「わたしのもの」と言っているだけで、
見上げた空をすがすがしく思うのはみんなに与えられた自由です。

PSXで美術番組を録画してみました。
同じタイトルの番組を集めると
傾向がはっきり見えてきます。

同じ美術番組でも、
NHKの「新日曜美術館」は言葉での説明が多いし、
ひとつの場所で評論家に語らせる時間が長く
冗長な感じがします。
美術物をただ撮影すれば番組になると安易に思わずに、
もう少し取材の努力をして欲しいと思います。

個人的に気に入っているのは「美の巨人たち」で、
芸術家の背景などを緻密に取材し映像化しているので
見ていて飽きがこない感じです。
そのかわり、一度見ただけでは中身を覚えられません。

「今を生きよう」という言葉を時々耳にします。
高橋がなりさんのブログでも出てくるし、
すがのたいぞう「心がほっとする考え方」の中にも登場します。

読みながら、なるほどと思いはするのですが、
どういうわけか心は晴れません。
今は確かに今だと感じるのですが、
心が焦って落ち着かないのです。

焦りというのは将来起こる何かの出来事に対して
十分な準備時間が足りないと感じることから始まります。
すこし寝坊した朝の、駅までの通勤路、
寝過ごした試験当日の朝、
自分はこの調子でいいのかとふと思う落ち着いた日常など、
焦るという状況はあまり心が穏やかではありません。

焦る気持ちは、
自分に力があって時間内に準備が間に合うと思うと楽になります。
しかし、自分にすぐ力がつかなくても
予定を先延ばしにできればやはり気持ちは楽になります。

光陰矢のごとし、とか言いますが、
1年という時間を使い切るのは大変で、
結構1年は長いものだと感じています。

未来にはたくさんの予定が入ります。
週末の計画、夕食の準備、実家への帰省、車検の日など
自分が抱えている出来事には決まった日があります。

人が増え、人が決めた出来事が増えてきたために、
未来には予定が入るようになってしまったのです。

予定がどれも時間内に間に合うような準備ができる、
あるいは必要でない予定を削ってしまうと、
やっと人は今を考えることができるようになります。
ということは、「いまを生きよう」というアドバイスには
「すぐには難しいかもしれない」と但し書きをする必要がありそうです。

引き算はマイナスという言葉に結びついているせいか、
なんとなく後ろ向きな印象で使いたがりませんが、
現代人が作った予定はあまりに多いので、
ひと一人分になるように引くことが大切だと感じます。

月曜日, 2月 14, 2005

美術館ダイエットはいかが?

ちょっと憧れだったタブレットを使っています。

ゲージツ家への道は千里の道かもしれません。

調べたところまだ類似のアイデアがなかったので、
「美術館ダイエット」を提案します。

美術作品の意図をちゃんと受け止めるにはエネルギーがいると感じています。

思いついたきっかけはいくつかあります。
アイデアを出す頭脳労働をしていて、
運動もしないのにどんどんやせていく経験をしました。
体調が悪いときに刺激的なジャズの音に神経が高ぶって、
風邪を引いてしまったこともあります。

美術館は最低1時間は歩き回ります。
ちゃんと鑑賞すると3時間ぐらいかかります。
散歩のようでありながら、退屈はしません。
審美眼もきちんと鍛えられます。

美術館近くの喫茶店は大抵品が良く、
ものすごく甘いシュークリームのオンパレードのような
デザートは出てきません。

わたし自身は絵を観に行くのが好きなので足を運びますが、
きれいになりたい人におすすめしたい「休日の過ごし方」です。

木曜日, 2月 10, 2005

入力端末考

CLIEのデクマ、
マウス、
キーボード、
トラックボール、
タブレットと
いろいろな入力端末を試しています。

入力できればなんでも一緒じゃないか、と
今までは思っていたのですが、
アイデアを考えながら入力する際に
ストレスのない方法を選ばなければ
アイデア自体が消えてしまうことに気がつきました。

この点で、手書き入力をデジタル化してくるデクマは苦手です。
書いてから入力候補を選ぶのが面倒なのです。

文書だけであればメモ帳とキーボード、
絵を描くならPhotoShopとタブレット、
図形を書く時はパワーポイントとマウス、
数式を書こうと思ったらペンと紙という具合に使い分けると
よいことが最近分かってきました。

ずっと悩んでいたのは、手書きとキーボードの使い分けです。
手書きはキーボードより確実に遅いのです。
しかし数式をマウスで入力しているとちっとも考えがまとまりません。

入力端末の見直しは、
もしかしたらあなたのアイデアを広げてくれる
突破口になるかもしれません。

スキャナとOCRの使い勝手を現在試しています。
うまくいきそうなところまで来たら紹介します。

水曜日, 2月 09, 2005

文字認識のコスト

EXCELは親窓の中でファイルが開く形式なので、
二つのシート間でデータをやり取りするときに困ります。
こんな時は、「スタート」からEXCELを二つ立ち上げると
便利です。

日記にアバターをつけている人を最近見ます。
動いているやつがなんとなく不気味で
個人的には好きではありません。

時々コストのことを考えたりします。
「超」整理法・時間編を読むと、
下手なタイピストを雇ったとしても
単位時間当たりの仕事効率を上げられる、というくだりが
出てきます。

この条件は
・自分ができる仕事は下手なタイピストを雇ってなおおつりがくる
・自分が仕事をするとその結果を収入として必ず受け取れる
という仮定の元に成り立ちます。

人手を雇えない場合、
機械を導入するのも同じような仮定の元で成果が上がります。

作業員を雇うと1日数万円もする、と言うのを聞いてから、
このプロジェクトのために使える自動装置を買うことを
積極的に検討しています。

下の写真、間違いを見つけましょう。

火曜日, 2月 08, 2005

なぜキャラクターは愛される

今日は加速器試験のため徹夜です。

街のディスプレーを見ると、

歯磨き粉[Ora2]のキャラクターが使われていました。

形が奇妙で、決してこの世にいないキャラクターは、
現実味がないのにどうして親しみをもたれるのかと
考えたことがあります。

動物学的、とか言い出すと
実は丸くて目が大きいものに対して
動物は攻撃性を失うようにできているのだそうです。
総じてキャラクターは
この性質を持っています。

多くの人はミッキーマウスが好きで、
しかしそれは決して赤ん坊のデフォルメに替わったりはしません。
つまり現実のものではないからこそ、
現実と切り離して考えることができる存在になれる、というのが
キャラクターのひとつの魅力です。

現実の存在であれば、
そこには現実的な連想が浮かびます。
女優や俳優は「雲の上の存在」にでもならない限り、
嫉妬は憧れへと消化されない類のものかもしれません。

雲の上の存在になる方法はいくつかあって、
現実的に飛びぬけているか、
あるいは「同じ時代を生きていない」状態になっても
達成されます。

坂本九の歌は確かに良い曲だと思いますが、
しかし彼が名のあるうちに飛行機事故で「雲の上の存在」にならなければ、
果たしてその歌はこれほどまでに広く言い伝えられてきただろうか、と
時々不思議に思うことがあります。

肉体というものは、
あまりにも現実的な存在なのだということが
良く分かります。

金曜日, 2月 04, 2005

異業種から学ぶ

目の使いすぎなのか、
なんだか目玉が飛び出てきそうな感じです。
少し目を押して戻してやると楽になります。

飛行機エンジンの空冷フィンです。

飛行機は重い冷却装置を積めないので、
上空の冷気によってエンジンを冷やせるようになっています。
それ以上の高温になるガスタービンなどは、
単結晶のチタンでできた羽根車を持っています。

極端な場所、極端な条件でも使えるように開発された装置には、
技術のエッセンスのようなものが詰まっていて、
そういう場所は学ぶものが大きいです。

木曜日, 2月 03, 2005

火のない食事

帰って疲れすぎているときに本を読みたくなる、というくだりを
無明さんの日記にあって、
昨晩同じような経験をしました。
おかげで2時半までかかって「会社のたたみ方」を
読み終えるはめになりました。

飽食ニッポンですが、
普通の生活の中でも食べ物に事欠く場面はあります。
移動中の車内とか、交通手段のあまり発達していない出張先などで、
ふと気がつくとおなかが空いているのに
食べ物を何も持っていない、という状態が発生します。

わたしの場合は、ここまで作業したらご飯に出かけよう、と思いながら
作業が終わらずに残ってしまう夜によく出くわします。
もっとも、こういう発想で仕事をするのはよくないのだと
仕事術のガイドなんかには書いてあって、
時間になったらご飯を食べに行く、という管理が必要なのだそうです。

どうしてもおなかが空いたときに、デスクの引き出しを見ると、
レトルトのカレーと乾麺のスパゲティがありました。



建屋内に火を使える装置はありませんが、
電子レンジはあります。
ネットで「レンジでスパゲティを茹でる」というのを見つけ、
半信半疑ながら試してみました。

水も500cc、加熱時間は(茹で時間+4分)で済みます。
細麺の1.5mmを使ったので、たったの10分で麺は出来上がりです。

レトルトのカレーを麺にかけて、さらに2分温めると
カレースパゲティが出来上がります。

巷にはレンジで作るおいしい食事があるのですが、
ちょっと量が少なくて物足りなくなることがあるのと、
なんとなく割高な感じがするのであまり買いません。

いろいろ調べると、カップ麺と水だけでも
レンジで調理ができるようです。
http://www.firstlight.co.jp/hystric/workshop/noodle/noodle.htm

ふと思ったのですが、
災害時なんかにカーバッテリーのの100V変換などで簡単に使えるような
100Wの電子レンジってないのでしょうか。
湯を沸かさずに食べ物を温める仕組みは必要だと思います。

または薪で燃やした火の熱源を効率よく取り出す
小さなヒートパイプのようなものも気になります。
鍋を火であぶるのは意外と効率が悪いのです。

水曜日, 2月 02, 2005

血が繋がった他人に相続すると

ルツェルンの美術館に行ったときの一枚です。
フォルクスワーゲンにシール状の入場券がたくさん貼ってあります。


これから、自分が見たり聞いたりしてきた情報を
あるテーマで纏めるようなスタイルの日記にしてみたいと思います。

会社を興してもいませんが、
大井 将寿「会社のたたみ方」を買ってみました。
わたしにとって会社は飛行機のようなもので、
離陸できても着陸できない飛行機には乗れないのです。

この本では従業員が25人のケースを扱っています。
勤続年数が長くなった場合、退職金の問題なども出てくるので
長く事業を続けて雇用するというのが難しい問題になっているようです。

会社が資本を用意し、その運用によって
退職金を支払うのだと言う話を聞いて、
バブル破綻のように一種の恐慌が生じた場合には
大きな会社のシステムが揺らぐ事態になることも理解できます。

リスクテイクをしない会社は伸びない、などと
右肩上がりの企業の部長などが意気込んで語る記事が載った経営誌があります。
この言葉がいつまでたっても誤用されるのは、
一億玉砕の精神だと思いこんでリスクを丸抱えしてしまう人が
少なからず存在し、ギャンブル的な経営を続けようとするからです。

リスクテイクにはいくつかの過程があります。
・そのリスクは小さくならないか検討する
・予想外のリスクはどれほどあるか見積もる
・リスクを最小化してなお残る「不可避なリスク」を割り出す
・「不可避なリスク」が生じた場合でも会社は倒産しないことを確認する

これらのプロセスを経て、
「不可避なリスク」を取るかどうかが決まります。

スカイマークの機内誌にUsenの社長のコメントがあって、
「成功したければリスクは負わない」というくだりがあって、
それは会社を経営の技術によって存続させる、という意思のように
感じました。

メールマガジンWeekly Mail Magazineの中に、
コクドの前社長、堤義明氏の父は
本妻との間とは別に子供をもうけ、
他人に相続すると言う名目で相続税をかからなくした、という記事を読みました。
経営がきれい事だけで済むわけはないのですが、
それでは骨肉の争いという表現になってしまいます。

一方で、Virginの社長は
Purely Business、つまり人が喜び求めるものを事業にする、という
スローガンを抱えています。

刃物の中にははさみも日本刀もあるわけで、
経営は刃物のように、使いようなのだと考えるようになりました。

火曜日, 2月 01, 2005

閉じた世界を造り出す

松本人志の「遺書」に、
深夜の番組は実験場である、というくだりを読んでから、
深夜番組に興味を持つようになりました。

「トリビアの泉」、「ブラックバラエティ」、「キスいや」などは
もともと深夜から始まった番組です。
しかし深夜番組で面白いものは
ゴールデンの時間帯に持ってこられて面白くなくなってしまうものが多く、
複雑な気分です。

西洋人はリスペクトする、されるという作業を通して
自分の名前を広めて行きたがります。
同じ仕掛けのものは日本にはあまり浸透していません。
誰かの紹介をする際に、自分の名前も広めて欲しい、という思惑を持って
紹介したりしないからです。

モーニング娘。とジャニーズは、
閉じた世界の中で「互いにリスペクトする」という演出を行っています。
内輪の褒めあいのようなものですが、
視聴者が見て納得するとそれが大衆の印象へと刷り込まれていきます。

外界からの評価を必要としないシステムは、
自分勝手に作ったプログラム言語のようです。
確かに内輪の世界にとっては便利な道具なのですが、
外界への拡張性がありません。

いつも表にさらされているのは辛いもので、
時には外部の影響を受けない避難所で休むことが必要です。
けれど、避難所は恒久的な居場所ではないので、
外界とのバランスをとるために外へ出なければなりません。

村上龍「恋はいつでも未知なもの」の中に、
SMを演じるお客について述べた一文があって、
ここで支配・被支配という関係はあくまで避難所的な役割であって、
それが本質にはなりえない、というようなくだりがあります。

一時期、アメリカ司法局の裁判官が
幼児性愛の性癖を持つことがクローズアップされました。
岡野憲一郎「気弱な精神科医のアメリカ奮闘記」によると、
幼児性愛者は人並みの人権が与えられないほどに差別を受けるのだそうです。

それでも異常性愛へ走ってしまう背景には、
現実世界と嫌でも直面し善悪を判断し続けなければならないプレッシャーが
あるのだと考えています。
だからといって異常性愛が認められるわけでは決してないのですが、
それは彼らなりに探し出した「避難所」の形なのだろうと考えています。