金曜日, 11月 30, 2007

北風に向かって怒るとき

人に向かって怒ることはできないけれど
寒い北風に向かって怒ることはできます。

風はどこまでも続いていて、
その怒りはわたしたちが神と呼ぶ
何らかの存在のもとまで届いているのかもしれません。

火曜日, 11月 20, 2007

漢字という、絵でも言葉でもない存在

朝晩が寒くなって、
ついに先週は車の窓ガラスに氷が張りました。

過冷却の水は外的振動によって凍るので、
うっかり水滴だと思ってワイパーをかけると
その途端に水滴が凍る、というような
物理的には興味深い現象を見ることもできます。

飛行機の前に座った人が読んでいたスポーツ新聞を
覗き見してみると、
特大の縁つき文字で「脳梗塞」と書かれていました。
それはまるで、字を見ただけで気分が悪くなるようでした。

どうしてだろう、とふと思いました。
外国のゴシップ記事ではこんなに内容の数文字だけで
意味を表して紙面を埋めてしまうようなページを
見たことがないのです。

それでふと、アルファベットは限られたいくつかの言葉でしか
「短いが強い意味の言葉」を持つことができないことに
気がつきました。

「脳」という字は明らかに[brain]を表しているのですが、
脳は1文字でbrainはそれそのものが読みに近い5文字で、
漢字は読みの「言葉」から遠く離れていることに気がつきます。

英語の文章は単語の間が空いていて、
これに対応するものは実は
「筆文字のときに重要な言葉は大きく書く」
のような対応で作っていたものを、
「マス目に並べる」ことにしてしまって
活字を読みにくくしてしまったのではないかとも思っています。

こういう日記の「書き方」-
わたしが画面の端から端まで文字を並べないのは、
ひとえに「活字を読みやすくする」ためです。

新聞や公共の文書に、
「もっと読みやすい活字表現を採用してくれないか」と
よく思うことがあります。
たとえば、文節ごとにもっと隙間を空けるとか、
何か色分けをするとか、そういう何らかの工夫です。

わたしたちの「言葉の問題」、
つまり「読みと書きの乖離」を埋めるためには、
より分かりやすい文字が必要で、
それは「ひらがなとカタカナを多く使う」こと、
たとえば主文は大小のひらがなで書かれていて、
ルビ側に漢字がついているとか、
思い切った改革が必要ではないかと感じます。

日本語を読みやすく直そうという試みは、
日本人が始めたいと思うのです。