漢字という、絵でも言葉でもない存在
朝晩が寒くなって、
ついに先週は車の窓ガラスに氷が張りました。
過冷却の水は外的振動によって凍るので、
うっかり水滴だと思ってワイパーをかけると
その途端に水滴が凍る、というような
物理的には興味深い現象を見ることもできます。
飛行機の前に座った人が読んでいたスポーツ新聞を
覗き見してみると、
特大の縁つき文字で「脳梗塞」と書かれていました。
それはまるで、字を見ただけで気分が悪くなるようでした。
どうしてだろう、とふと思いました。
外国のゴシップ記事ではこんなに内容の数文字だけで
意味を表して紙面を埋めてしまうようなページを
見たことがないのです。
それでふと、アルファベットは限られたいくつかの言葉でしか
「短いが強い意味の言葉」を持つことができないことに
気がつきました。
「脳」という字は明らかに[brain]を表しているのですが、
脳は1文字でbrainはそれそのものが読みに近い5文字で、
漢字は読みの「言葉」から遠く離れていることに気がつきます。
英語の文章は単語の間が空いていて、
これに対応するものは実は
「筆文字のときに重要な言葉は大きく書く」
のような対応で作っていたものを、
「マス目に並べる」ことにしてしまって
活字を読みにくくしてしまったのではないかとも思っています。
こういう日記の「書き方」-
わたしが画面の端から端まで文字を並べないのは、
ひとえに「活字を読みやすくする」ためです。
新聞や公共の文書に、
「もっと読みやすい活字表現を採用してくれないか」と
よく思うことがあります。
たとえば、文節ごとにもっと隙間を空けるとか、
何か色分けをするとか、そういう何らかの工夫です。
わたしたちの「言葉の問題」、
つまり「読みと書きの乖離」を埋めるためには、
より分かりやすい文字が必要で、
それは「ひらがなとカタカナを多く使う」こと、
たとえば主文は大小のひらがなで書かれていて、
ルビ側に漢字がついているとか、
思い切った改革が必要ではないかと感じます。
日本語を読みやすく直そうという試みは、
日本人が始めたいと思うのです。
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