上り坂と下り坂
赤城の山のそばは年中風が強くて、
風が好きなわたしは気に入っています。
人はどこかで下り坂に向かう、と
なぜか下り坂の心理を考えるようになりました。
人の脳は入力不足な状態で、
正常でありさえすれば年月がたつほど経験を増していくものです。
しかし肉体的限界は常に存在し、
人の機能は常に肉体的状態に依存するため、
人は得たものを少しずつ手放さなければならなくなります。
仕事がとても好きだった者が仕事を手放すというのは
子供が気に入ったおもちゃを捨てるのをかたくなに拒むようなもので、
人は目の前に生じ自らに起こる現象に対して
無条件で受け入れることがとても難しい生き物です。
果たして私はもし何かを得ていくとしたら、
得た後でそれをちゃんと後の世の誰かに譲ることができるだろうか、
その心構えはいつすべきだろうかと考えるようになりました。
社会的役割のピークと肉体のピークは必ずしも一致しない、
下り坂に向かう者にとって
過去に得たものや築いたものは後の世がそれを追い越してしまい、
神は「与える者」より「奪う者」に見えるとしたら、
それでもこの世界に生きるたよりをどうやって持てばいいのだろうと
ふと思います。
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