3冊選びなさい、といわれたら
今日は妙に血が頭に集まっているようで、
めまいがします。
信教の自由、というものがあって、
「公共の利益に反しないように」と定められています。
受刑者が希望する持込図書は
経典として認められれば別枠扱いされるそうで、
オウム説法集は3冊までと定められた「一般図書」とされたことに
訴えが起こっているのだそうです。
いろいろと考えを巡らせます。
一般図書とされた理由は、一種の「危険思想」であって、
読み進めた場合犯罪やテロを招く恐れがある、という解釈が
言外のうちに進められているはずなのですが、
それを言うなら他教を排除するキリスト教やイスラム教だって
立派に犯罪やテロを招いています。
「公共の利益に反しないように」という言葉は曲者で、
さまざまな解釈ができるからこそ問題が起こります。
言論統制が行われようとしている国会インタビューの話を見ると、
人権を盾にとって悪事を隠そうとしています。
それぞれの名前のついた個人にプライバシーはあります。
しかし国会議員という公人に秘密は必要ありません。
信教の自由というのは
それ自体がリスクの大きい権利なのだろうと思います。
人が決めた全てのことには
完全な正解や間違いが定義できないからです。
ただ衝突のない画一化された世界を理想とせず、
自由な言論が確保された上で常にせめぎあいの中にある、ということこそ
本来は揺らぐ世界の健全な姿であるのかもしれません。
もし3冊選べといわれたら、
最初の1冊に岡本太郎の本を入れ、
残りは適当な物理の辞典と厚い英語大辞典を選びます。
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