淘汰は誰が引き受ける
バッティングセンターに行きました。
一度速度の速いコースで目を慣らすと
遅いコースで楽に見えるようになるのが少し不思議です。
わたしたちは相反するようなシグナルを受け取ることがあります。
「すべての人に食料を」と言い、
「このまま人口が増えれば地球が破綻する」と言います。
淘汰という言葉があって、
環境の変化によって特定の性質を持つ生物や事象が
選択的に優位な生存をする、という意味で用いられます。
人口飽和が今頃地球の関心事のようにとり上げられるのは不自然で、
小さな村の人口が飽和したところに旱魃が起こり
人為的に人口調整を行った例は数知れずあります。
ペストの流行、旱魃、厳寒や地震の猛威は
人の増加を阻んできました。
そしてこれらに対する対策から、医療や生活技術が発達していきます。
わたし自身が人間であり、生きることを望む限り、
わたしの言葉として「淘汰は必要であった」と言うことはできません。
しかしながら、人間は自然から力を引き受ける形で社会を成立させていて、
自然が生と死をもたらす力を持っていたならば、
引き受けた力で人間が生と死をもたらさなければならないだろうというのは
そこに「わたしの言葉」の領域を超えた真実があるのではないかと
ふと思うのです。
それはわたしが「リンゴは地面に落ちる」と言おうが言うまいが
現象としてリンゴが常に地面に落ちることと同じであるか、という問いです。
あくまで個人の生を望み、それを擁護する社会、
社会の最大公約数の人間を残すために選別を迫る社会、
わたしたちは神や自然から力を引き受けた瞬間から
この選択を私たち自身がしなければならないことになってしまっています。
生贄など未発達な文明が作り出した野蛮な習慣だ、などと
文化史は論じておきながら、
現代の人柱は「選択を下したもの」であり続けていて、
そこから一歩も進化していない、
だからそれに変わる選択法はないのだろうかと考えは巡ります。
「全てを捨てなさい」という言葉は思考の放棄ではないはずです:
それは変わり行く時と歩みを共にすることです。
自分が幸せになったからといって考えをやめてはいけないのです。
奪うと奪われるの別なく
あたたかい気持ちで過ごし、人と接することができれば、
それが最初の原点なのに、と春に思います。
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