火曜日, 3月 11, 2008

物語における真実について

引越しの準備を始めました。

物理における「確立しうる真実性」とは
再現可能な実験に支えられた数学的法則性とでも呼ぶもので、
しかしながら数学的法則性はトートロジーで定義された
基本的諸法則の組が無矛盾であることを基礎としており、
この世界の「現象」という真実と、
そこから演繹で導かれる真実とが混在します。

物語の世界を文字ではなく映画という映像で描けるのか、という疑問があり、
わたしはこれが「不可能である」という考えがあります。

人の心は「言葉」の連想でできているといいます:
映像は時間の一定の流れに縛られてしまいます。
文字で「5万年」と書くことを映像化しようとすると、
映像ではその重みを表現できません。

「世界の定義」を「真実性に基づく」から「無矛盾である」に切り替えると、
「物語の世界」は「矛盾なく作られていればいい」ということになります。

わたしたちは現象という真実の大きさに
しばしば立ちすくみます。
それは現象に対する「わたし」の小ささを省みることでもあります。

「分からないまま」の世界はあまりに苦しいものです:
「わからないこと」の存在が苦しいのは「閉じていないから」です。

社会システムが大きくなりすぎて、閉じた世界にならなくなっています。
人はしばらくこの「大きくなりすぎた世界」で物質的には過ごさなくてはなりません。
しかし思想が必ずしも地球のサイズ以上である必要はありません。
錆びて動かない大きなトレーラーより、小さくてよく整備された自転車の方が
買い物には便利であるように、
世界を矛盾なく説明できるが、個々の現象についてははっきりしない計算機より、
「山が雲のかさをかぶったら雨」のような地点観測が
役に立つかもしれません。
そして大きく遠くなる世界と、今いる現実を埋めるためには
大きな想像の力が必要です。

わたしたちは誰一人として「全ての真実」など知りません:
しかしわたしたちは常に「全ての真実の総和」の中に生きています。
ちゃんと閉じたお話が作れたら、それがあなたの世界であり、
それがあなたの聖書です。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

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