水曜日, 3月 15, 2006

反復性に対する疑問提起

異動の春になると書類書きが増えます。
何枚もの書類に名前を書く疑問を感じることがあって、
その疑問は「不要なことを繰り返している」という感覚に
根ざしたものです。
現場を見て分かったことは、
書類というのは「情報を物体化して積み重ねる」という側面を
利用したものなので、
人間が手記という「一回性のもので」書いていく必要があります。
印字というのは誰でもできてしまうものなので
便利だけど危険でもあるのです。

この例は分かりやすく、
もう少し分かりにくい例もあります。
テレビは録画せず電波を受信したときの映像が好きという
彼の言葉にどこか納得しています。
では歌手が全国公演をしていて
何度も何度も歌う歌が一回性かどうかは
その場の人間の状況によります。

聞いている側にとって一回性であり、
歌う側にとっては反復なのです。

反復性にはふと疑問が起こります。
空気感まで再現できるほどのオーディオまで出てきて、
自分の歌う姿まで記録されるのでは、
では歌う自分が一回性を保持できるかと不安にもなりそうなものです。

一回性とはアイデンティティに結びついたものです。
それを揺るがすのが人だけではなく、
機械や積み重ねられた社会知識、本やメディアも含まれ、
さらには人間が増えてくると似た状況の人も増えてきて、
自分は自分であるはずなのだけれど
それを証明する手段が分からなくなってしまいます。

誰が悪いわけでもなく、
しかし現在の状況は一回性をより強く意識して行動しなければ
自分がわからない悩みに連れて行かれそうです。

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