新聞を読みなさい、と人生の気忙しさの相関について
個人的にとても気分を害してしまう状態の一つに
「ついでに」と「ちゃっかり」があります。
そういう付き合い方をされると一緒に行動できません。
この二つ、なぜ嫌なのかをずっと突き詰めて考えると、
頼むほうに良いことがあるけれど
「ついでだから特に難しくないでしょう」というアプローチで
親切心を無言のうちに強要されるからで、
一人前に頼む責任を自分で負っていないからです。
親切心は要請されて出すものではなく、
その人への感謝の発露として自然に現れるものです。
貯金のように預けたり引き出したりするものではありません。
味噌っかすのような情けない頼み方をせず、
自分の願いを「ついで」や「ちゃっかり」で済ませようとしないことが必要だと
良く感じます。
社会的に一人前に扱って欲しいと思うのであれば
自分が要求したという責任を自分で引き受けることです。
新聞を毎日良く読みなさい、
社会のことがよく分かるから、とは
いつでもどこでも良く聞いてきた話です。
新しい情報はかなりエラーが多くて、
取捨選択も深い洞察も為されない生のものです。
この言葉に含まれる「本当のような嘘の部分」を
正確に表現できないかと時々考えます。
同じ情報を伝えるなら新聞だけ読めばいいのか、と
以前考えたことがあります。
週刊誌とか機関紙とか単行本には
どんな意味があるのか不思議に思った時期があります。
思考に関する二つの極を挙げれば、
早く知らなければならないことと、
熟考しなければならないことに分けられます。
速報が役立つのはたとえば台風の話、交通事情の話など
行動そのものに影響が出るものです。
隠されていた悪事などもいち早く引き抜かれなければなりません。
熟考が必要なものの最も普遍的なテーマは
行動が長期にわたるもので、
突き詰めれば自分の生き方に関わるものです。
速報で株の情報を知らなければ損をする、
このシステムを受け入れるならば人生はせっかちになります。
芸能情報が速報で「なければならない」理由はありません。
興行なんかは十分な宣伝の元になされるもので、
準備に大きな時間がかかるからです。
世の中には、原理的に早く動かなければ存在できない
宿命にあるシステムがあります。
銀行は通貨の循環量が増えることで手数料が増えるため、
経済がどういう状態であっても「激しく変動する」ことを要請します。
この要請に実体経済が連動してしまうのです。
資金余裕がなく開業した会社は
収入と支出の量がともに大きい必要があればあるほど
維持するのが難しい会社になります。
最近は銀行もただ資金を貸すだけでは成り立たなくなって、
コンサルティングで手数料を取ろうという向きに変わりつつあって、
この改善は好ましいものだと感じます。
しかし今度はコンサルティング技術の秘匿が問題になります。
お金がなければ情報が得られないことになるのです。
情報を売っている産業は大きくは新聞やテレビのメディアで、
小さく見るとガイドツアーの添乗員さんや結婚相談所などもあります。
芸能雑誌に載る「スクープ記事」と言う表現は
時々当たりで時々外れています。
紙面には「賑わっている」ことが強要される傾向にあるため、
ねたに困ったときなどはどうでもいいことが一面にやってきます。
無一文から巨額の富をなした人を
「アメリカンドリーム」と呼んで、
商社の人なんかはこれを夢見る傾向にあります。
この「アメリカンドリーム」に含まれるニュアンスは
「非常に短い期間で」たくさんの額の「お金を得る」ことにあります。
20年位かかって十分裕福になる、でいいと思います。
こんな話を年上の人にすると、
「最近の人は競争心や向上心がない」と揶揄されることがかなりあります。
競争して富を奪い合うことが競争心ではなく、
ただ地位的に上り詰めることが向上心ではないはずです。
自分を高めるための努力に競争心は必要ない、というだけです。
向上心がない、と言う人たちのある種の本心は、
「誰かが頑張ってくれたらおこぼれで生活できるのに」という
コバンザメ的な卑しい発想を多分に含んでいます。
夢を持て、希望を持てと大きな会社の社長が謳う言葉には、
若者ががむしゃらに走ってくれれば
我々は左団扇で暮らせる、という意味を含有しています。
若者はもっと十分に賢くならなければならず、
これらの嘘を自発的に徹底的に見抜いていかなければなりません。
ファラオ王が何よりも知恵が欲しいと神に頼んだのは、
嘘は見抜けば破壊できることに気付いたからです。
情報の秘匿ではなく
知らないものにもっと生きる知恵を与えること、
そんな意思に基づく活動を広めて行きたいと思います。
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