金曜日, 3月 17, 2006

電波ぐらいの繋がり方

何か曲が聞きたい、しかし聞くと頭に響くというのは
最近のオーディオは猫も杓子も音質が良すぎることにあります。
カセットテープやラジオのFMで聞いていた頃は
ノイズも音のひずみもあったのですが、
もう少し何かほっとしたものです。

繋がることは絶対善ではないとふと思います。
継続サービスを謳うものは全て
繋がることの効用を説きますが、
それは拘束条件であって、使い方によっては
長屋の五人組のような不自由な思いをすることになります。

一般に、有線に比べて
無線は品質がよくありません。
受信条件があやふやだし、送れる情報量に限りがあります。
しかし無線は何かが自由です。
無線が不安定だから有線化するというのは
なんとなく何かに信じて寄りかかってしまう心の問題に
極めてよく似ています。

心と心は無線で繋がっているようなものです。
受信条件があやふやだし、送れる情報量に限りがあります。
この世のあらゆる手段をもって有線化しようとすると
心は自由ではなくなってしまいます。

自由で平等な社会があるとすれば、
それは心が自由でなければなりません。
確かに心は不安定なのですが、
不安定なのが嫌で自由を放棄するような姿勢は
そろそろ改めなければならないと思います。

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

無明です。

そうです。そうです・・とうなずきながら
拝読しました。

とりさん さんのコメント...

こんにちは。
お返事遅くなりました。久しぶりに田舎の福岡へ戻ってきています。菜の花がきれいです。

匿名 さんのコメント...

無明です。
春は、梅や桜をよくいわれるのですが
ぼくは菜の花が一番好きです。