「気楽」を正確にイメージする
久しぶりに良い休みになりました。
仕事場では真剣に取り組むもの、
という気持ちばかりが増えてしまって
気楽に楽しむということをほぼ完全に忘れていました。
求道精神、なるものがあって、
日本人は極まったことが大好きです。
さまざまなノウハウ本を読んでいても、
ただひたすらつらいことに立ち向かう、というくだりばかりで
行間が埋められています。
この原因はおそらく、
求人超過でバブル期に就職が楽にできた時代と違って、
難しい事柄をこなせないと、特殊技能がないといけないという認識から、
安易さに逃げず、少々の辛い事があっても我慢して乗り越え、
風雨に負けず花を咲かせましょう、
というメッセージが込められているように思います。
しかし根が真剣にものを考え、極めて忠実に実行する人にとって、
このメッセージが続きすぎるとバランスを崩します。
しかしここで、好ましくないとされる「安易さ」と
現在の社会に極めて必要な「気楽さ」は非常に似た概念であり、
正確に分離して取り出す必要があります。
少し真面目に考察してみようと思います。
どちらの言葉でも、
「なんとかなる」という表現が伴います。
(三省堂辞典)
安易
(名・形動)[文]ナリ
(1)困難がないこと。たやすいこと。また、そのさま。
「―な問題」
(2)特別な工夫や努力のないこと。深く考えないこと。また、そのさま。
気楽
(形動)[文]ナリ
(1)気兼ねや心配がなく、のんびりしているさま。
「隠居して―に暮らす」
(2)物事にこだわらず、のんきなさま。
辛い事がこれから続くからこそ、「気楽」の具体的方法を
強く意識して開放してやる必要がありそうです。
よく「人事を尽くして天命を待つ」ということわざがあって、
以前何かで読んだ本の中には
(天命を待つだけの状態にするまでには
これでもかというぐらい努力が必要である)
という言葉ばかりが載っていた記憶があります。
しかし努力して、すべてが報われるわけではない、というのは
水木しげる(水木さんの幸福論)にも載っています。
社会がルーチン化から解かれた以上、
尽くすべき人事が思いつかない時だって
多分にあるのです。
では努力しすぎて燃え尽きてしまう人、
現状を真剣に打破しなければならないと思っている人の
「心の固さ」を上手に受け止め、
柔らかくする方法はないのでしょうか?
この問いは人に向けたもの、というより、
かなりの部分で私に向けたものです。
一生懸命に念じている人は
何かを諦められないものです。
諦められない理由はいくつかあって、
ひとつはそれでなければならない、
そうでないと生きていけない、と思ってしまうことにあります。
これは、さまざまな作業や仕事のプロセスが
「忠実に履行される」ことを前提になっていて、
しかもそのプロセスが非常に長くなりつつあることにも
問題があります。
そういう思考様式ばかり取らされれば、
おのずとその思考様式が身についてしまいます。
仕事、という言葉の中に、
忠実で長いプロセスの実行、という側面と、
分からないことに試行錯誤する、という側面があって、
どちらの概念も強力に必要で
かつ渾然一体となって来ている、ということが
顕在化したのが現代社会のようです。
「天地人」という言葉があります。
すべてのことに、天命、地の利、人の努力が揃っていないと
物事は前へ進めない、という意味です。
とてもよいバランスの言葉だと思います。
地の利まではある程度検討の余地がありますが、
天命の流れ、運命の流れだけはどうにも変えようがないのです。
ひとしきり十分な努力をしたあとで、
「今はその時じゃないな」と思える、
自分を解放できることもまたとても必要です。
知識と手段は非常に強い力で、
何らかの解法を与えてくれることも非常に多いのですが、
それらは有力ではあるけれど万能ではなく、
分からないときこそ今の自分の決断の方向性を認め信じ、
思い切って天=この時の流れに委ねる勇気を強く持てることが
安易さに流れず「気を楽にする」有力な方法だと考えます。
戦後経済が右肩上がりばかりというのは、
世界的に見ても異常な状態だったのです。
ある一定の安定状態に落ち着くためには、
景気と不景気が同じ強さで循環しなければなりません。
経済成長、ばかりが謳われますが、
世界がひとつになり、富の不均衡が急激に解消される中で
世界中が世界中を巻き込んだ循環経済へと移行するでしょう。
決して成長ばかりは望めない世界です。
そんな世界の中で「ハイリスク・ハイリターン」は非常に危険です。
日本人が生活に必要とするコストが非常に高いのであれば、
これは「ハイリスク」以外の何者でもありません。
儀式のようなお歳暮や義理チョコがなくなったのは
非常に喜ばしいことだと思っています。
人間が生きていくには、
好景気のときに生きられることではなく、
不景気のときにも生きられることのほうが重要です。
もちろん時には強さも必要なのですが、
強くなくてもそれなりに生きる安心が必要なのです。
好景気ばかりしか知らずに育った上の世代では、
環境のせいでもしかしたらそういった類の知恵が
十分に醸成されなかった可能性があります。
こういう世代に対してもし訴えかける必要があるとすれば、
富をきちんと分配しようという動きだと感じています。
そして不景気だからこそ
さまざまな「欲」-それはたとえ愛や希望や夢のようなものであっても-を
上手にコントロールできるようにならないといけません。
一生懸命な人にとっての「気楽」は、
人事の及ばない天の動きがあることを認め、
欲を小さくし、
勇気を持って不安を世の流れに積極的に預けることから始まるようです。
結論としては、
「気楽」は「無為」ではなく、
積極的な心の働きである、と感じました。
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