私を成り立たせる3つのもの
寒いのでもつ鍋にしました。
もつは一度酒を足して煮ると臭みが取れます。
いつでも持ち歩いていたいものを
曲からひとつ、絵からひとつ、本からひとつ選びました。
曲はルイ・アームストロング「このすばらしき世界」です。
世の中には恋の歌、未来の歌、希望の歌などいろいろあるのですが、
どれも過去とか未来とかばかり歌っています。
スローなイントロから始まるこの曲は、
今見えるもの、聞こえるものを素敵だと歌います。
日本語でこういうテーマを歌うと
なぜしっくりこないのだろう、とも思います。
絵はパブロ・ピカソ「科学と慈愛」です。
臨終の床にある婦人に対して、八方手を尽くしたけれど
死を止めることができない医師は脈を取るだけの姿、
向かいにいる修道女は渇きを癒す一杯の水を差し出し
子供と共に祈りを捧げます。
科学の進歩や技術だけが決して人を幸せへ導くのではない、
人は決して無力ではなく、
精神の座においてその最後まで何かできることがある、という
訓戒と希望を与えてくれる絵です。
本はミヒャエル・エンデ「モモ」です。
「灰色の男」なる時間泥棒が、人の時間を奪っていく様子は
都市社会の忙しさ、心が奪われるプロセスを
とても正確に描写しています。
時間が奪われるのは灰色の男と
「無駄な時間を減らして時間貯蓄をする」契約を結ぶからで、
貯蓄した分だけ後で何倍にもなって戻ってくる、という
約束を交わすからなのですが、
効率を追い求めることで人は「仕事をする機械」になってしまい
人間ではなくなっていきます。
効率よく働き、事業が成功し、貯蓄をし、
美しい服装、豪華な食事、大きな家、あふれる名声、
手に余る文化的生活と情報、
しかしそれら全てをもってしても幸せとは程遠い気分から
抜け出せないのです。
資本主義がもつ「拡大再生産」の罠を指しています。
仕事の中に喜びと生きがいを見出すのなら構わないのですが、
成功と富を見出すのなら多分違うものになるのだと思います。
「この時間は、本当の持ち主から切り離されると、
文字通り死んでしまうのだ。人間というものは、
ひとりひとりがそれぞれのじぶんの時間を持っている。
そしてこの時間は、ほんとうにじぶんのものであるあいだだけ、
生きた時間でいられるのだよ」というくだりがあります。
「もし人間が死とはなにかを知っていたら、
こわいとは思わなくなるだろうにね。
そして死をおそれないようになれば、
生きる時間を人間から盗むようなことは、
だれにもできなくなるはずだ」ともあります。
物語の中では輪廻が説かれていて、
もう一度新しい生を受けるのだ、あるいは
神の国へと加わるのだとも解釈できる説明もあります。
モモが心の中で見た世界は、
咲くたびにこれが一番美しいと思う花がひとつずつ現れ、
そのたびにモモは心から喜び、
しかしそれは必ず枯れてしまう、
そのたびにモモは心から悲しむ、
そして美しい花はまた必ず咲き始めるという光景で、
それがこの世界なのだという説明です。
時間を守るとか、約束は絶対だとか、
ある意味では人間的美徳とさえされるそういう縛りそのものが
この世界を狭くしてしまうのです。
いつもこの3つのものがあれば、
心の座標は同じ場所へ戻せるような気がするのです。
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