月曜日, 11月 20, 2006

ある晴れた金曜日の朝

CHAGE&ASKAの歌で、
ビルの窓掃除をしていて転落して天に召された男が、
次の希望欄に「ビートルズ」と申し送りをし、
そして次の世でビートルズは5人になる、
というくだりの歌があります。
アップテンポでとても好きな歌です。

科学は生まれ変わりを証明できません。
科学の限界は人が一生分の記憶しか保持できない、と
されていることにあります。
証明されていないものは「存在しない」のではなく、
「存在の可能性が残される」です。
この空間では時間が戻らないことになっていて、
与えられるのは未来だけです。

今の世で救えなかったもの、
足りなかった時間のもの、
喜びを与えられなかったもの、
願いを叶えられなかったもの、
私はすべて預かっておこうと思います。
何万年、何十万年かかっても
私は何度でも「わたし」に生まれ変わり、
そのたびに新しい国の新しい言葉を覚え、
砂漠の真ん中、深海の底、切り立った崖の上、
眠らぬ都市の街角、向日葵の咲く丘の元、
何度も生を受けあらゆる場所に私は向かい、
出会い続ける人に喜びとなれるよう、
預かった願いを叶えられるよう
時間の旅を続けたいと次の世に申し送りします。
そして地上のすべての人と出会い、
そのすべての喜びになれることを待ち望みます。

もし今世でも来世でも私にできることがあれば、
遠慮なくご一報ください。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

「ご一報ください」という一言に、つい、こたえて、書いています。

いまではどういうところをたどってきたのか良く思い出せませんが、ふとここに行き着いて、それから、「とりさん」はどうしているかしら、とたまに遊びに来ている、通りすがりの者です。

ここに書かれている「申し送り」に、すごく共感できる気もするし、でも、なんだか目の前の悲惨とか苦しみとかという「現実」から、目をそらしているだけなんじゃないの、という気持ちにもなったり、だけどやっぱり、そんな「現実」があるからこそ、やむにやまれぬ「申し送り」なのかもしれない、と思ったり。

ここにはなにか、いまのわたしを揺さぶるものがありました。

また、きっと立ち寄ります。

とりさん さんのコメント...

こんにちは。はじめましてですかね。
たとえば「行動か諦めか」で言えば、
現実は意思で変えるもの、
時の流れには逆らえぬもの、
この二つが常に自分を真反対に分離します。

これとは別に、
体はひとつしかないので、
同時に二つの要求はもともと叶えられない、という別の制約があります。

コメントありがとうございました。
うれしかったです。