土曜日, 11月 11, 2006

うまくは言えないが、ある雰囲気について

久しぶりに日記を書こうと思いました。
書きたい事がなかったというよりも、
読み返して良かったと思うような話題を思いつくのが
難しかったからかもしれません。

電車で仕事場に通うと時の雰囲気が良くわかります。
使われている文字をみると、
横文字はすっかり消えてしまって日本語だらけです。
もしくは日本人に読める程度の中国語が増えています。
恐らくイラク戦争や牛肉問題などの影響で、
日本がアメリカを敬遠しているからでしょう。

スタンダード=基準となるべき男性像について、
この国は迷います。
社会の仕組みには大きく2種類あって、
女性系の社会と男性系の社会があるのだそうです。
日本は女性的社会と呼ばれます。
アメリカというリファレンスをなくしてしまったことは、
ある意味で自分たちが主体的に社会を作る権利を得ることになりましたが、
どういう社会を作るかについて少しもまとまりません。

禅や道はストイックなものが良いとされていて、
地震雷火事の続きは怒った親父です。
そうでなければ卑屈な立ち回りか、
古狸のような悪代官みたいな老獪さばかりが目立ちます。
自己犠牲的に命を捧げ、
あとは涙ばかりが残る、そういう人生は
「意義深い人生であった」と思い返すことができるのでしょうか?

ルイ・アームストロングのCDを聴きながら、
日本にいないのはこういうタイプの男性なのだ、と思いました。
それは自信に満ちた明るさであり、
現実と生命を肯定して微笑む懐の深さです。

神の存在が関係しているのだろう、とふと思います。

日本や中国には強い神がいないために、
人がルールを定めることになっていて、
風が吹くたびに人間が揺らぎます。
居心地のいい環境ではないのです。

日本は西洋から技術ばかりを輸入したので
「和魂洋才」なんて言葉になってしまいましたが、
本当に輸入すべきだったのは肯定的な「魂」なのではないか、と
ふと思いました。

日本とアジアを見渡す限りルイのような人物には
ほとんど出会えないような気がするので、
わたしがなりたい人物像を見つけた、ということで
今日は納得しておこうと思います。

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