木曜日, 9月 20, 2007

カワイタコトバ

今年は暑かったので
デスクの下にサーキュレーターを置きました。
説明書きを読むと
「冷えすぎるので風を人体にあてないでください」とあって、
もっと冷えても良いのに、と思ったりします。

アメリカの記者だか忘れましたが、
表現に形容詞はいらないと言っていた人がいて、
ふとそのことを思い出します。

目の前にリンゴが3つある場合、
二人の人が見ると何かが「3つある」ことは了解します。
しかしこれを形容詞で表現した場合、
リンゴ園に住む人は
3つのリンゴを少ないと言い、
リンゴが1個1億円の国に住む人は
3つのリンゴを多いと言うとします。

形容詞は感覚に対する言語表現であって、
共通了解が取りにくいものでありながら、
生活の質感におおきな影響を持つ言葉です。

乾いた表現を求める、
つまり静止画の写真に似た描画をするなら、
澄み切った青空、よりも
8月のメキシコの雲ひとつない青空、のほうが
より印象を確定的なものにします。

打ち合わせで「全部」や「絶対」をよく使う人に出会うと、
台詞の意図を読み取れず
話が食い違っていくことがあります。
「全部」や「絶対」はとても使いづらい単語で、
それは「全部」や「絶対」に相当する現象が
この世界にはもともと少ないことに起因しています。

「なんて青い空なんでしょう」という感嘆の台詞と、
「こんな空を以前見たのはいつだろう」という感嘆の台詞、
なぜか形容詞の少ない台詞のほうが訴えるものがあり、
それは「熱狂する歌は規則正しく歌われている」ことに似て、
冷静さが感情を動かす例でもあります。

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