金曜日, 9月 21, 2007

"Happy" + "End" = "Happy End"

なぜお酒に強くなるのかは
酵素の有無だというのは一応分かっているのですが、
ではその酵素の有無は何で決まるのかはいまだ分からず、
世の中の話題というのはもう少しつつくと「分からない」が出てきます。

それでいたずらな人は
「なんだそんなことも分からないでよく研究ができるな」なんて
言いたがる人が多いのですが、
そういう人は大抵自分に自信のある分野でしか意見を言わないもので、
「わからない」ことに怯える「けんきゅうしゃ」は
「研究者」の定義=分からないことへの敬意と憧れをもつことに
反していると思います。

「ハッピーエンド」という言葉を不思議に思います。
「時間の限られた物語」の中では「終わり」が決まっていて、
だから「エンド」の意味は「物語の終わり」という意味なら明確です。
しかしこの世界が「終わる」という表現は
その可能性がほとんどありません。
地球にとって生命のなかった時代の方が圧倒的に長くて、
そして地球から生命がいなくなったとしても
この宇宙は広がり続けていく固有の時間を持ちます。

しかし人は「終わりよければすべてよし」に見られるような
「ハッピーエンド」思想をどこかに持っていて、
それがなぜなのかをしばらく考えていました。

人は物語をあるまとまりで終えるように、
区切りのない時間を昼と夜のセットで終えます。
そして眠りはおそらく「おわりのしるし」です。
人は意識のあるあいだ、つまり起きている間しか
正確には生を意識できず、また自身を意思によって動かせません。
人はおなかが満たされると眠たくなる、
それは「意識の放棄を許していること」であって、
その「安らかな眠り」が「ハッピーエンド」のもとではないかと
最近考えています。

安らかな眠りの前に描く想像は
「明日も良いことがあるだろう」という期待で、
そして人は明日にちゃんと期待を描くことができ、
それが最後の明日であってもこの世界に期待する練習を
実は眠るという手続きで行っているのかもしれません。

人類には確かに問題が消失したことは一度もありません。
しかし人類すべてが希望を完全に失ったこともまた一度もないのです。

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