プラス1の処世術
マウスの一つボタンがMac、
二つボタンがWindows、
三つボタンがUnixと決まっています。
わたしはWindowsをメインに使いますが、
最近右ボタンをできるだけ使わないようにしています。
なんとなく思考の邪魔になるかもしれないと思ったからです。
相反することについて時々考えます。
「お金は後からついてくる」と、
「先立つものがないと始まらない」は全く逆です。
そしてこれらの言葉を、適切な状況の説明にも
諦めの理由付けを求めるためにも使います。
いくら大農場が効率がいいからと言っても、
大平原を一人で耕していたら
いつまで経っても作物は実りません。
といっても自分ひとりがやっと食べる分しか耕さなければ
いつまで経っても楽にはなりません。
どうもそこには「適切な大きさ」というものが
決まって存在するように思います。
アプローチの方法はひとそれぞれですが、
少なくとも大農場での農法と
小農場での農法は全く違うはずです。
量子論は確かに全ての物理の基礎を成しますが、
高エネルギーでの場合と低エネルギーでの場合は
基礎となる考え方そのものが違います。
そして複雑怪奇な量子論は突然生まれたのではなく、
もう研究することが何もないだろうと言われるまで
古典力学が精査された後に生まれたものです。
大きな事を為したいときに、
がむしゃらに無理をするわけでもなく、
かといって臆病さから行動範囲を狭めるわけでもなく、
今できることから一歩だけ先へ努力してみる、
そういう歩み方が必要だと思います。
そして、一足飛びではなく一歩ずつというのが
なぜか結果的には一番早く目的地へたどり着ける感じがします。
ただ時々無理をすることにはいい意味があって、
今までの自分の「方向」を変えたり、
日常に余裕を持たせる効果があります。
それは一歩ずつの歩みではもしかしたら得られないことで、
諸行無常の考え方で言えば
自分が生まれ変わることに等しいのかもしれません。