火曜日, 10月 25, 2005

可愛くない顔

加速器試験はようやく終わりました。
最初にイメージした実験の理想的な姿に
だいぶ近づけたような気がします。

メールで大量に文書を書き、
何人もの人と会話をしながら仕事をする、という使い方をすると、
かなり精神的な体力が要ります。
人は人の中にいて生きていくものならば、
人付き合いが得意とか苦手とかいう感覚はあっても
必要なときに必要な人と情報をやり取りしなければなりません。

個人的なメールの中で使う顔文字の中で、
今まで一番多く使ってきた顔は笑顔の顔文字です。
自分がメールを送ることに対して
好ましい気持ちでいるということを表現したいのです。
もう一つは、他のいろいろな顔は
今ひとつ可愛げがない、と自分では思っていたところにもあります。

メールは会話のように言い直したり
説明を付け加えたりできないので
自分が笑顔でないメールを書いて
相手に良くない印象を与えるのではないかということが
内心すごく気になっているのです。

ところが、気分的には笑顔でない日というのも
実際にはあって、顔文字ながら
笑顔ばかりを使うことにたまに抵抗を感じることがあります。
同じ表情を続ければ顔だって引きつってしまいます。

笑顔でいなければいけないのだろうか、と
ふと思うことがあります。
「いつも笑顔で」とよく言われたとしても、
本当に毎日笑顔で過ごしているわけではありません。
人間は何にでも慣れてしまう生き物であるために、
笑顔にも慣れてしまう、というのは
笑顔だけではなく涙顔が豊かに出せる女優さんに
人気が出るというところでも良く分かります。

できるだけ笑顔、とか
ため息をついたら幸せが逃げる、とか思わずに、
できるだけ表現豊かでいようと思います。
自分が寝ぼけていてかっこ悪い顔をしていても
それはそれで自分の姿だったりするのです。

かっこ悪いに慣れる、ということが
どうしても心配だった時期があります。
一度かっこ悪いに慣れてしまうと、歯止めがきかなくなって
これ以上努力しようという気持ちを失うのではないかと
考えてしまうのです。

しかし人はどんなことにも慣れることができ、
一方で慣れるとどんなことにも退屈する生き物です。
退屈というのはなかなか面白い感情で、
新しい事を始めるのが楽しくなります。
毎日が新しいことばかりだと、
少しは落ち着きたくなるものです。

人からもらうメールの笑顔の顔文字は
いつ見ても飽きないものですが、
自分が書くメールの中にはたまには他の表情の顔文字も
少しずつ使ってみようかなと考えています。
ただの白と黒が作る「ある情報」なのに、
人は自分を表す方法をめぐらせているものです。

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