水曜日, 10月 19, 2005

純粋にうまくなりたいと思う気持ち

雨の日はずいぶん暗くて、
しかし気持ちが落ち着きます。
雨上がりの空は美しい海の底を眺めるように澄み切っていて、
気持ちが洗われるような気がします。

もやもやした気分が生じたときに、
頭と心を洗ってさっぱりする確実な方法がないものとかと
時々思います。

野球用品メーカーの宣伝で
「もっとうまくなりたい」という一言を
いろんな少年が繰り返すCMが数年前にあって、
その宣伝がとても気に入ってました。
憧れから何かを始める気持ちというのは
無心に行動できる原動力になります。

行動が縛られることがあります。
自分ができることが大きくなっていくと、
誰かの行いと衝突してくるからです。
それで自分が行動することに対して
ある種の抵抗感を持つことになります。

自分がこんなことをしてみたい、と思ったときに
それが上手で、そのことで人を楽しませている人を目標にするというのは
良い方法だと思います。
上手になるということが自分の快い感情と結びつくからです。

仕事について最近はこんなことを思います。
仕事で成果を上げる過程も大変だとは思いますが、
その成果で人が幸せになっているところをイメージできないと
その仕事をする意味を失います。

自分よりも何かが上手な人を見ても、
どういうわけか競争心とか張り合う気持ちを持てません。
それが上手である人を見て満足し、
自分も少しでもそうなれたらいいなと思うところまでです。
切磋琢磨という表現をあまり受け入れられないので
あまり男性的ではないのかもしれません。

自分の年齢が上がってくると、
友達の活躍する場も大きくなってきて、
話すのがとても楽しくなります。
そこには自分がもう到達できない場所があって、
そういう場所にいてくれること自体が
良い目標になるのです。

幸せな気持ちというのは状態であって実体ではない、
だから日常の生活であればずっと幸せでいることはない代わりに、
ずっと不幸せでいることもないのです。

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