水曜日, 2月 20, 2008

ノートパソコンのそばのノート

帰りの運転で聴くFMでは「生と死」についての記事を集めていて、
ある地域では自殺した遺体をみんなで袋叩きにする、
それはその体には悪魔が取り付いているとみなされるからだそうで、
生命とは生命を維持する存在であるという認識を
優先させた思想だと感じました。

ひとつのツールで仕事がなぜできないのだろうと
時々不思議に思います。

ノートは演算とコピーに向かないし、
パソコンはメモ代わりには使えません。
「ノート」の代わりになるべく、という願いで作られたような
ノートパソコンには、
しかしながら仕事で使うために
傍らにノートをおく必要が生じます。

ノートパソコンから「ノート」の機能を奪うことはほとんどできず、
「教科書と電卓と電話」の代わり、といったところでしょうか。

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