人間は原理的に人間の問題を解決しない
白いものばかりで鍋を作ろうと思いたち、
白身の赤魚、鱈、カレイ、手羽元、
えのき、豆腐、白菜、かぶ、うどんを材料にしました。
さわやかな食後感でした。
この世界に人間がわたしひとりしかいなければ、
法律が定めるところの罪の問題は生じません。
罪とは人と人の間に生じるものだからです。
宗教的には自殺を罪に規定しますが、
その場合天国に行けないことと墓で弔ってもらえないという
「社会的死」が認められないだけで、
一人しかいない人間がいなくなったところで
それを裁く別の人間はいないのです。
安藤昌益は集団生活を必要とする社会は
その構造自体に問題が生じると考えました。
自分が住むよりはるかに遠くで採れ作られる物質を
必要とすれば世が大乱を起こす、というのです。
地産地消ということばがあって、
その土地でできたものをできるだけ取り入れようという思想で、
これを究極的に突き詰めると安藤の思想になります。
たとえば日本人にとって
バナナが不可欠な食物であるかどうかはわかりませんが、
日本がバナナを輸入することで地球の遠い国との接点ができ、
そのシステムにまたがって生活する人が生じることで、
ある地域とある地域に物質的接続を生じます。
人間に「意識」を抜きにして考えれば、
人間の知覚は全て体という物質を通して生じます。
たとえばほとんどの人にX線は見えません。
いくら太陽系の動きが計算できたからといって、
太陽の一区画で生じる
フレアの発生時間まで予想できるわけではありません。
人間が脳のサイズで規定された分以上の能力を
人はもっていないのです。
だから脳が限界まで複雑になったとしても、
この世界の複雑さを再現することはできないのです。
分子コンピューティングという技術があって、
計算体系にDNA様の鎖になる物質を使います。
問題に相当する鎖をビーカーに放り込んで混ぜると、
答えだけが長い鎖になって現れる、というのだそうです。
世界全体をシミュレートするには
つまり「もうひとつの宇宙」をどこかにつくり、
その様子を非干渉的に測定すれば完了します。
人間はどうにかして人間の問題を解決しようとしているのは
実は集団あるいは都市に生きる人間に固有の現象かもしれません。
冬のない国、たとえば赤道に近い国では
働かなくても食べ物が採れ、
その地域における集団の役割は
より環境の厳しい国での集団の役割よりも緩やかです。
ひとは「母なる大地」と名づけましたが、
天が父で海が母である、と最近思っていて、
多分地は父でも母でもありません。
人間の問題が一向に解決しないのは、
あなたやわたしが人間であるからであって、
人間ではない上位概念になれたときには
人間の問題を「解決したもの」として取り扱えるでしょう。
あなたは人間であると自らに認める限り
人間の問題を背負う必要はありません。
解けるかもしれない問題は解く努力ができますが、
解けないとわかっている問題を解くことはないのです。
自分の体の問題を解決するのが人間の意識の目標であるように、
人間の問題を解決するのはあずかり知らぬ上位概念の目標です。
光速以上の速度を持つ世界は
光速以下の世界からは到達できませんが、しかし禁止されておらず、
上位概念は光のカーテンの先にあるのかもしれません。
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