月曜日, 12月 18, 2006

たとえば、政治というものについて

普段お世話になっている人を呼び、
肉を2kg、野菜、きのこ、とほうとううどんを買って
豆乳しゃぶしゃぶにしました。
豆乳を入れるとあくが固まるので
スープが澄んでうどんもおいしく食べられます。

あっちを立てればこっちがたたない、というのが
どうも人の願いの原則のようで、
政治は何をやってもなぜか怒られています。
改革をすればついていけない人が困る、
保守的であれば腐敗や談合で困る人が出る、
とどんな路線に向かっても100%の結果が出ません。
ということは、選択する行為自体が罪になるのなら
人はみな罪を負うことにもなります。

税を上げれば今事業に困る人が出る、
でも上げなければもっと困る人が増える、
たとえばこういうことの繰り返しです。

ちなみに善と悪という概念は
結局のところ生と死を読み替えたもので、
自分が生きられるようになるものを善と呼び、
生きられないようにするものを悪と呼ぶのだろうと
ふと気がつきました。
だから「自己犠牲」を払う人は
「他人にとって生きる可能性が増える」から善だと
「自己犠牲を払ってもらった人」が呼ぶのです。

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