木曜日, 12月 07, 2006

優しい風に吹かれて

納豆に漬物、特に青菜を入れるのが好きです。
とてもよい食感と香りになります。

今必要なものが一体何なのかとふと考えます。
町の吊り広告は妙に偏っていて、
男性誌は欲望を前面に押し出したような内容で、
女性誌は愛されを前面に押し出したような内容で、
一体それで何が満たされるんだろう、と
ふと思ってしまうあたりに
自分は「強い」人ではないんだろうなと感じることがあります。

生きることの本質は生きることそのものであって、
欲があるから生きていけるのだとは思うのですが、
何を欲に選ぶかというところが実は任意性があって、
みんなが幸せになってほしいという願いが欲であると
昨今の時勢ではあまり欲が満たされていません。

幸せの定義は難しい、といいますが、
幸せなときには笑っていて、
死の恐れ、正確には死のイメージの恐れから
意識が遠ざかっているものです。

どうしたら心から笑えるだろう、と思うときに、
無心で助け合えたとき、という連想が浮かびます。
松本紳助の本にあった一節で、
友達とは助け合わないもの、というくだりがありますが、
もしそうであるとするなら
心から笑うための条件というのは
それぞれができるだけ助け合わないでいられること、
あるいは助けると助けられるを意識しないこと、となります。

ふと疑問に思うのは、
それなら溺れそうな時は一体誰に助けを求めればいいのだろう、
という点です。
ソーシャルワークが常に完全に機能していればいいのですが、
実際には荒いざるのように漏れがあります。

時々会う友達とは無心で笑えるのは、
それぞれの生活の実体部分が繋がっていないからで、
相互作用が生じる関係では
作用が強くなればなるほど
なかなか何もかも忘れて笑うというわけにはいかなくなります。

相互作用が非常に強く、しかも無心で笑える、というのが
ある種の理想で、
果たしてどんなロジックが頭にプログラムされれば
これが叶うのかと思いを巡らせています。

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