昔は良かった、にまつわるあれこれ
わたしたちは昔に向かっても夢を見るようにできているのかもしれません。
中島義道の本の中で、「昔は良かった」と語る人を
「その印象は正確ではない」と言い放つ一節があって、
しかし「昔は良かった」と多くの人が
共感して言いたくなる理由はどこかにあるのです。
未来に対して夢を描く場合、
現在の物事と今まで得た情報から連想する想像で世界を作るので、
比較的構成要素が少ないのですが、
未来には過去にはない
「現実化する可能性」という特性があるため、
楽しみが大きいのです。
一方で過去は現実化する可能性は
既に失われているのですが、
たくさんの情報があるために
その過程を自分にとってなじみのよい形に
変えてしまうことはさほど難しくありません。
近いもの同士が一番うまくいかない、というのが
世の習いのようで、
過去と未来は遠く、
しかし触れられずにいるから自由な想像ができ、
現在は近く、
触れられるほどの距離にいるから状況が縛られています。
過去の記憶、未来の希望、
どれも癒しや安らぎになれるとよいなと願います。
2 件のコメント:
「今はなきもの」にたいする愛着が、未来を見つめるまなざしになり、そのあいだを行き来するらせん状の運動としての現在、というイメージになんとなく、でも長いあいだずっと、とりつかれています。
過去と未来はだからとても近くて、たとえば過去に落ちたインクは、それが何色であっても未来に広がっていくのかもしれない。そんなことを思いました。
コメントありがとうございます。
いただいたコメントを読みながら、自分の中ではとても新鮮な見方だなと思いました。
表現として伝えるのは難しいのですが、
自分の中では未来はまっさらな場所から与えられていて、過去の反芻によって「過去になった未来」に改変が加えられる、というイメージであることにも気がつきました。
HPお邪魔しました。
写真上手ですね。
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