ポーカーゲームをせずに生きていけるか
天気は良くて風の強い日でした。
桜茶に使われる桜の塩漬けの花は
ソメイヨシノではなく八重桜です。
あるゲームがあると
得意な人と苦手な人というのが勝手にできて、
そしてわたしは多分ポーカーゲームが苦手です。
人生はゲームだという人がいて、
本当だろうかといぶかる日があります。
評価を上げたり評価を下げたり、
コントロールに忙しい人がいます。
綿谷りさ「インストール」の最初の1章は、
全然勉強なんてしていないことを一生懸命装う台詞を話し合い、
それでいてそれをお互いに信じていない友達の場面です。
距離が近い者同士は同じ場所を取り合うことになりがちで、
友達という言葉に込める意味は
たぶん人によって異なります。
わたしとあなたは友達です、
ほらこんなに仲良く昼ごはんを食べに行っています、
くだらない話題でも盛り上がって笑い合っています、
でもいざという場面ではわたしがあなたを置いて行くこともあります、
それでもわたしはあなたに普段から友好的に接してあげているのですから
あなたはいざというときには私によくしてくれるはずですよね、と
お互いに言い合っているような関係を時に見ます。
見抜かれているのにまだ演技できるのはある意味すごいな、と思ったり、
なんだか滑稽だな、と思ったりします。
そんな台詞が交換され、継続する関係はきっと、
互いに相手を見下しているからできることなのだろうと感じます。
話の本筋はそこからで、
そういう性質を持った人にどう接したらいいのかと
時折考えることがあります。
わたしは見抜かれてもなお装うような台詞がなぜか出せません。
だからといってそんな台詞を話す人に
あなたは本心はそんなこと思っていませんよね、と
話してみたところでまともな関係になるわけでもありません。
そんなわけでできることを探していくと、
そうかもしれませんしそうでないかもしれませんね、と
お茶を濁したような答えにするぐらいのことで、
相槌を打つでもなく反対するでもないような表情になります。
もう少し難しい問題は
そういう人は頻繁にさぐりを入れてくることがあって、
返事の仕方に困ります。
聞かれたことをありのままに話したところで
その人がいいように使うだけで全体のためになるわけでもなく、
だからといって知っているのに知らないふりをすれば
その人と同じ事をしているような自分が好きになれなくなります。
結局のところ出来ることといえば、
目に付かないように事を進めるぐらいのことなのかもしれず、
物言わず考え事をする日が増えていきます。
そして、わたしはその瞬間に思ったことを話す場所を
どこに設ければいいのかと考えることになります。
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