金曜日, 4月 20, 2007

多分、ほとんどのことは言われなくても分かっています

パソコンの画面をつなぐ線にデジタル線DVIが使えるのに
アナログ変換をして使ってしまっていたので
変換部を外しました。
画面がはっきりして綺麗です。

最近頭の中に消しゴムが導入されたようで、
言葉を離れた時間が増えています。
ニュースとワイドショーを見る時間が0になって、
それで不便になったかといわれると全く不便にならず、
動画の情報はよほど編集が効いていないと
不要な情報の洪水になることが分かってきました。

あいつが会議でいいことを言った、その実績を求めて言葉を紡ぐ、
それはどこかでわたしが律則的に持っていたもので、
そして変わらず誰かにあるものです。

「言ったもん勝ち」を地で行くのが特許の世界で、
他の人に一秒でも早く知らせればオリジナリティが取れる、という面があります。
研究も50歩100歩の面を持ちます。

一秒でも早く、といって焦って取ることが
長い目で見て有効であるかどうかは不明です。
先駆的な研究には長い時間がかかり、
そしてもしそれが「真にオリジナル」なものである場合、
競争にはならず代わりに「無理解」が来るはずです。

確か30年以上の間存在を否定された「プリオン」の話や、
ガリレオの天動説の話、
250年本の中に埋もれていたメンデルの法則など、
真に新しいものが理解されなかった例はたくさんあります。

美術館になるとよく不思議な感覚になります。
ゴッホの絵は生前少しも評価されなかったのに、
本人がいなくなると「現代フランスの遺産だ」なんて言い出す人がいて、
そこには「生きている間に高い評価をするのは癪にさわる」という
周りの人の感情が確実にあって、
それらが論理的や物理的な障壁でなかったことを
簡単に理解してしまうからです。

それは苦労して建物を立てた人を追い出して
居抜きの部屋をレンタルに貸し出しているようなもので、
それらは厳然として存在するのに、
明示的には決して認められない現象です。

相変わらず競争が嫌いです。
勝っても面白くないし、負けても面白くないからです。
競争をするので高給で雇われる、
それでよいと思う人はそうすればよいのかも知れず、
時折考え事は続きます。

「コンクリート・ジャングル」なんて言葉を作った人がいて、
きっとビルの森の中に人という獣が棲んでいるイメージですが、
最近そのたとえを再定義してしまおうと思っていて、
ビルの岩の中に人という木が生えているようなイメージで、
動く生き物はいないことにしてしまおうと考えています。

人を木と見ようが獣と見ようが、
大半が炭素と酸素と水素でできていて、
遺伝子がメッセージで動かしている点では何の違いもありません。

それで打ち合わせの席で、
「恐らく先様はご存知だと思いますが」と一節を
枕詞のように使って、
「わたしも分かっているのだ」という感情を満足させることになります。

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