写真について考える
ゲーセンにある「太鼓の達人」がしたいです。
写真はAVFサイクロトロンの銅電極です。
記憶が問題なのではなくて、
記憶への執着が問題なのだ、ということがあって、
それで写真について時折考えます。
写真に人が写っていると、
その写真は人を思い出すきっかけになります。
椎名林檎の歌の中に、
写真になったらあたしが古くなるから、というくだりがあって、
なるほどなと思うことがあります。
友達にも写真は撮らない、
自分の目で見るんだ、という話があって、
それは必要なことだなと思います。
ただ写真は「文字」では表現できない情報を上手に残すことができて、
それ自体は情報の共有をするために便利です。
カメラの充電器が見つからなくなったのもきっかけになって、
この半年ほど写真を撮らずにいました。
別の機械の充電器が使えることがわかって、
久しぶりにシャッターを切りました。
写真は「あるものの記憶」でしょうか、
それとも「写真そのもの」でしょうか。
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