月曜日, 8月 08, 2005

夏の1冊と読書感想文

音楽を自分に感じさせる方法は二つあって、
一つは音楽を流すことで、
もう一つは曲を思い浮かべることです。
調子が良いときには
自分の中の曲と流れている曲が
同時に聞こえます。

「すごいもの」に対する意識というものを
人はそれぞれ異なった形で持っています。
「すごいもの」は敬意の対象であったり、
力の象徴だったりするのですが、
科学で言えば最初の「すごいもの」は
「超高エネルギー」か「超大出力」などで、
次のステップの「すごいもの」が
「超微細」とか「ナノテクノロジー」といった
極大・極小の二つの無限に関連したものです。

無限というのは
イメージしやすい「すごいもの」なのですが、
正確に「無限の量」を見積もるのは難しいことで、
無限に至る過程を探すのも難しいことです。

ドラゴンボールの話は強くなっていく過程が面白い、
というのですが、
最後は宇宙を飛び出してよく分からないところまで
強くなってしまって、
結果的に面白くなくなってしまったりするのです。

ステップアップする喜び、というのは
確かにあって大切なことだと思いますが、
人には羽根さえ生えていないから
どこまででもステップアップできるわけではありません。

ステップアップすることだけが
喜びの全てであったとしたら、
人はどこかで喜びが終わってしまいます。

国語辞典の表紙に、
「大切なことは、ありふれた言葉で
非凡なことを表現することである」
という一言があって、
この表現がとても気に入っています。

料理をしながら、
世界にはどれだけの種類の料理があるのかと
楽しみにしてみてみると、
すごいコース料理であっても
材料はたまねぎとかジャガイモとかで、
作り方も焼くか蒸すか揚げるか煮るか、
あるいはそれの組み合わせで、
バラエティーには結構早く限界が来るんじゃないかと
思ったことがあるのは10歳ぐらいのときです。

高い材料があったとしても、
100万円もあればこの世の材料は買えてしまうわけで、
やっぱりどこかに限界があります。

この考えが外れていったのはそれからしばらくしてからで、
値段にして100円のジャガイモは、
作り方によって味がとても変わってしまう、と
感じることができた時であるように思います。

それは素晴らしいジャガイモに出会ったのと同時に、
自分が味の小さな違いに
気がつけるようになってきたことが大きく作用しています。
すばらしいジャガイモが味の違いに気づかせてくれて、
違いに気づいた自分が普段のジャガイモを
より楽しめるようになっていって、という循環によって
感じる力は深くなっていくようです。

もし物質としての世界が本当に一つだったとしたら、
世界をどれだけ豊かなものに感じられるかは、
それぞれの感受性に委ねられているということになります。

ジャガイモはこれからもずっとジャガイモで、
高エネルギーにもナノテクノロジーにもなりませんが、
それでも日々愛されていけばいいのです。

めぐりめぐってこの話は、
毎日の中にあるすごいことのイメージを
少し広げてみると良いのではないかと思うところへ
行き着きます。

時々大きな事を計画するのは大切なことで、
人の行動限界が広がる楽しみがあります。
しかし全ての週末が宇宙旅行が旅行企画にならなくても、
暑さが和らいだ夕方に冷たいお茶を片手に
他愛のない話が出来るだけでも
それはなんだか「すごいこと」だと思うのです。

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