火曜日, 8月 02, 2005

たとえば、3割引の商品を買う

出張に行ったときに
ショッピングモールのブースで
VHSのミュージッククリップのセールがあったので
まとめ買いしてみました。
布袋寅泰のギターがかっこいいです。

太宰治「人間失格」の中に、
日本中で食べずに処分しているものの量があれば
どこかの国が救えるという仮説に対して、
それを集め、保存する仕組みが作れないから
いまだ実現しないのだ、という
話が出ているのを時々思い出します。

物理の世界には
原理的には可能であるが、実現されていない、というものが
たくさん存在します。
以前は政治自体をどことなく毛嫌いしていましたが、
政治がなければ社会が動かないのであれば
嫌いでも付き合うしかないなと考えたりしています。

節約の本を見ながら、
スーパーの特売チラシには毎日目を光らせて
安いものを買うようにしましょうと書いてあったとして、
個人の生活としては好ましいとされる事象でも
それを社会全体で実践してしまうと
スーパーは成り立ちません。

時々は定価で買うことの意味について
思いをめぐらせます。

多少「まあいいや」でお気に入りの物を
買ってしまう、というのは
全体として成り立つために必要なことだと思っています。

機械設計にも同じようなことが
成り立つことがあります。

オーバースペックの部品をつけていると、
普段は無駄だったりするのですが、
いざ改造するというときにとても楽だったりします。

設計には「最適化」という作業があって、
大変好まれて使われる用語なのですが、
「何を」最適化するかが問われることは少なくて、
無意識のうちにパフォーマンスだけの最適化が行われます。

「余裕度」の最適化を行うという意識があれば、
物の見方がだいぶ楽になるんじゃないかと
期待して試している今日この頃です。

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