水曜日, 8月 10, 2005

Field-Multiply

佐賀放射光シンクロトロンのRF管です。

銅の筒から突き出した銅のパイプ、
マンガに出てくる実験装置そのままです。

考え事をしていて、
なんだかもやもやとしたところに
行き当たることがあります。
今までに知ったことや感じたことの中に
繋がりが見出せそうなときだと
自分では思っています。

実家の仕出しの手伝いをしながら、
どんなに忙しく動いても一人では前へ進まなくなったときに、
自分がどれだけ素早く仕事をこなせるかではなく、
仕事場全体のスピードをどれだけ速くできるかに
考えを移し始めた時期があります。

最終的に至ったそれは、
自分というものが行う仕事が
表立ったものになるかどうかは気にせず、
必要な箇所があれば
どんな場所でも自分をそこへ向かわせる、
というだけのルールで出来ているものでした。

結果として仕事は速くなりますが、
後で自分がした仕事は何であるかと問われると
「下準備と後片付け」と答えるのが適当だったりします。

コーディネータの仕事は
仕事という場に自分の意志を投影した
「意志の方向」を持たせるということであり、
明確な形がないのです。

コーディネータの数は
たくさんは必要ありません。
あまり多いとまとまりが悪くなってしまうからです。

それぞれの人がのびのびと仕事をしながら、
自分はその空間の中で形のない意志として存在している、
地味で面倒な仕事だったりするのですが、
自分の居場所はそんなところにあると考えています。

最近ずっと引っかかっていることは、
なぜ人には体の10倍以上の制御能力を持った脳が
与えられているか、ということです。
本には「無駄な要素」として取り上げられていることもありますが、
わたしには「何かの理由がある」と
どうしても感じられてならないのです。

ある人は千年統治を越えて生きられるため、と
説明するのかもしれませんが、
それなら人間は1000年生きるように進化するはずで、
的を得た理由付けにはなりません。

数字の分母と分子をさかさまにすれば
意志の1/10しか現実には叶えられない、ということであって、
かなり体というのは不便な装置です。
実体としての体に意志の量を合わせる、という試みが
ストレスの少ない生活をもたらしてくれないか調整中です。

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