月曜日, 12月 19, 2005

大きな街が好きな理由

上手な電話との付き合い方、ただそれだけのために
ずいぶん時間が必要だったように思います。
直接行かなくても情報がやり取りできる、
中身は会話であっても効果はずいぶん違うものです。

大きな街が好きです。
新宿を歩いていると、宝くじを売る声、
街頭募金の社会鍋を掲げる声、
神の道を説く声、
クリスマスの呼び込みなど
人が行いうるさまざまな出来事が
同時に目に映ります。

人間は性善説の生き物か、あるいは性悪説の生き物かと
悩んでしまいそうなとき、
それらは全て混沌としている、という明快な回答が
街の風景に現れているように感じます。

人間以外の動物が悠久の時を過ごしていそうなのは、
彼らが環境を変えてまで住もうとしていないからであって、
環境を変え、社会的構造を変えながら生きている人間には
「変わる」ということが宿命付けられているから
急ぎはやって生きていこうとしてしまうのかもしれません。

これと種類の似た質問として、
人間は世界が理解できるか、という問いもあって、
明快な答えは、脳の演算量と人間の寿命に限界があるので
全ては理解できない、という答えがあります。
可能性は無限大、とは響きの良い言葉で、
しかし人間そのものの実体は有限です。
人の目の前には、無限の数ではなくて、
常に片手に余るほどの選択肢が考えられる程度です。
しかしどう変化するかが予測できない、ということも
合わせて知っておくと気持ちは落ち着くかもしれません。

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