木曜日, 5月 18, 2006

今日世界が終わってもいいという日もある

小さいキーボードは打ちにくい、と
ピッチの違うノートパソコンを触って思います。
DELLのキーボードはピッチが小さいのです。
固いキーボードも苦手です。
キーボードが柔らかいと不評なVAIO S[SZ]ですが、
個人的にはとても気に入っています。

今日はこんなことを思いました。

思いつける限り十全に満たされて、ふと
今日みたいな日は世界が終わってもいいなと思う瞬間が
たまにあります。
それは全てを為した事実から来るのではなく、
多分自分の状態が勝手にそうなるのですが、
死はある日にとって非常に怖いもので、
しかしある日にとっては怖くないものになっているはずです。

そういう日に痛みがなく生命が終わるものだとすれば
了解する人は割といるのではないかと考えます。

世界が相互作用するためには物質的なやり取りが必要ですが、
その一部を写像した脳の中はあらゆる情報が近接しています。
現実に嵐を起こすのは莫大なエネルギーシステムで、
簡単には嵐を作れませんが、
その写像である脳の中では
脳の中の地球一つを消してしまうほどの嵐、
つまり感情の急激な変動が比較的簡単に作れます。

多くの人が語るように、
一度問題を十分自分に覚えこませ、
良く打ち込んだ後であれば、「全く関係ないことをする」時に
価値ある発想は生まれると言います。
この「十分に」というところが大切で、
不十分ではいけませんが、
いつまでもしがみついてはいけない類のものです。

「全く関係ないこと」は
実世界の現象として関連を持たない、という意味ですが、
脳にとっては刺激が別の角度からやってくるだけです。
実世界では関係ない二つの事象は関係ないことのままで
それぞれが時間発展し続けるだけですが、
脳にとって入力された全ての事柄は単独は存在できず、
相互に作用を起こします。

脳が一部分興奮すると、
それが脳の全く関係ない箇所へと波及できるということは、
ある一つのことに自信が持てると、
様々なことに自信が持てるひとつの理由になります。

コーラの炭酸に刺激されて新発明を思いつく、
たとえばこんなことが本当に起こるので、
人はひらめきを呼ぶ何かを楽しみに待っています。

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