光っていると、輝いている、の違いについて
話題を思いつく時期は不連続に訪れるので、
そのときに書き留めておきます。
今朝道を歩いていると、
雨の中で明るく光る場所を見つけ、
そこに花があることに気付きました。
それは「輝いている」という表現がぴったりでした。
雨の日はたくさんあって、
花はそのときいつでも光っているのだから
輝いたという表現になったのは
その日の私の状態の違いに拠ることになります。
自分の気持ちの状態が良くないときは、
光を見ても輝いているという表現にはなりません。
蛍光灯は白い色で、夕日はオレンジ色というだけです。
白もオレンジも、絵の具のそれとさほど変わらないように
感じてしまうのです。
ところが輝いているなと思うときには、
光を放っていない物体でさえも不思議な輝きがあるように思われるのです。
日常が平板になった、という表現があって、
これは物が実際に絵を見ているような状態になることだとしたら、
輝いている、と輝いていない、の違いがはっきりします。
平板になったときは絵の具のようで、
いきいきとした時は立体的に感じるのです。
脳が疲れると2次元的処理、
活発だと3次元的処理になったりするのでしょうか。
光っている、ではなく輝いている、という言葉を使ったのは
実に何年ぶりかで、
それがどうしてなのかはあまり理由が分かりません。
0 件のコメント:
コメントを投稿