金曜日, 10月 05, 2007

ブラインドタッチで作文は作れない

先日、意識的には何の脈絡も何の悲観もなく
ふと遺書を書いておいたら安心するだろうか、と思いました。
もちろん書いたからといって文字としてはありふれていて、
それが本人のもとへ届くかは分かりませんが、
すくなくともそのありふれた言葉は自分が選んだものであることと、
「言い足りなかった」とは思わずに済むことがよいところです。

それはある「おわりのしるし」だったのかもしれず、
不思議な気持ちがしています。

たとえ手書きであっても構成に悩むように、
報告書でも作成するような速さで文書は書くことができません。
もしかしたら作れる人はいるのかもしれませんが、
自分にとって真に新しいことである場合は
大抵その表現に迷うものです。
アメリカやヨーロッパで計算機を人差し指だけで打つ人がいて、
しかしその人たちのほうが真に新しいアイデアを持っていたりして、
社会の急激な変革とも言うべき大変化や大発見が
なぜその当事者にとって歩くような速度でのみ綴られるのか、
その不思議について考えています。

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