月曜日, 10月 15, 2007

ハンマー

同じ釘を打つある道具を見て「かなづち」と「ハンマー」と呼べば
これは同じ意味になり、
そのことば同士の「同じ」の保証は「同じ道具の存在」によって成り立っています。
ところが「かなづち」は「泳げない人」の比喩で使われ、
それでハンマーとかなづちは違う意味範囲を指すことになります。

「ハンマーで叩きたい」という台詞をよく覚えていて、
ブルーハーツの「ハンマー」という歌を最近知り、
こういう気分なのだろうか、とふと思いました。
元気にしてるだろうか、とふと思いましたが、
なにを「元気」と呼ぶの?と質問がやってきそうで、
それで「気にかけている」に相当する表現だけを表す言葉があれば
どんなに救われるだろう、と考えたりしました。

平井堅の「きみはともだち」のプロモーションビデオを見て、
まったく予想しない結末にふいに涙が落ちました。
天から伸びたその逆らえない「大きな手」は
破壊と再生の象徴のようでした。

ハンマーが「いたるところで」振り下ろされるのだ、と言います。
しかしわたしには「壊していく」ことしかできないようにも思います。
わたしが「大きな手」に導かれて何かを壊した後、その「大きな手」は
ちゃんと面倒を見てもう一度何かを作ってくれるのでしょうか。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

ブルーハーツのハンマーについて。ハンマーを作詞したのは真島昌利ですが、彼はブルースに影響を受けて居ます。ブルースの歴史をたどると、ブルースはもともと黒人の労働歌から生まれました。400年間白人から奴隷にされて、労働していた黒人。彼らの労働歌をハンマーソングと言います。(フィールド・ハラーと呼ぶのが一般的です) ハンマーを振り下ろすときの掛け声だったからハンマーソングとも呼ばれます。いたるところで人が「金が欲しくて働いて眠っているだけ」の意味じゃないかと思います。破壊のイメージの含みも勿論あるかも知れませんけど