水曜日, 10月 24, 2007

盾と専守防衛

盾を持つのだと言います。
それは守るためなのだと言います。
しかし盾は無害ではありません。
盾があれば矛が傷つき砕かれるのです。

攻めるにしても守るにしても、
兵は「傷つく」ことを前提とした任務です。

ドイツの宗教心が保たれている理由は、
兵役の体験によって
「人は争いを起こさないためにどこかが力の保持を行う」必要を
民が認識するからであるように思います。

わたしはその理由を
「強い軍隊が必要である」や「兵役が必要である」
という肯定的理由として使いません。
しかし、人は見たことのないものや経験したことのないものを
決して肌身の感覚としては理解できないのです。

進化には何億年もかかるのです。
人間はまだせいぜい登場から数万年ではないかと言われています。
それはきっと気の遠くなるような話です。

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