日曜日, 7月 08, 2007

Miscellaneous

食材選びに一段落して
新しい器を買いました。
器は大きさやデザインのほんの少しの差が効いてくるもので、
それは宝石をあしらったアクセサリーにも
共通したことが言えます。

日本人はよく「神を持たないこと」を誇っているようなところがあって、
神なんか持つから戦争なんて始めるのだ、と
時に言いたげな場面に時々出会います。
religionという言葉に当てはめた意味について
わたしは時に詰めなければならない考えがあるように思います。

平等院鳳凰堂ができたのは浄土に早く行きたいという
末法思想の影響があったといい、
歴史上人は時々神を見失っています。

神の指針が揺らぐことと
教義が揺らぐことはある意味で等価で、
須弥山を中心とした仏教の世界観が
「地球が丸い」ことを示したキリスト教と衝突したりして、
教義は言葉でできているためにこのような事が起こります。

いくらこのような書き方をしても、
「世に広まった」というときでさえ
必ずそうは思っていなかった人たちの生活があり、
「教義が議論になった」といっても排他的に生活をしなかった
人たちの営みがあったはずなのです。

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