たとえ確率は1/2でも
でこぽんが送られてきました。
実に甘くて大喜びです。
風杜さんの紹介してくださった
「旅する哲学」の読書は後半へと差し掛かりました。
都市生活がもたらす、
労働力の集約による生活の便利さ、
しかし
人が自然と手を繋ぐすべを失ってしまうことによる、
自己の不明確化と精神の不安、という問いかけとその答えについて
冷静に書かれた内容は、
こういう助言を心から待っていたんだ、と感じるのに
十分すぎるほどでした。
わたしにはこの本ほどの精緻な内容をレビューできないので、
いつもどおりの日記を続けます。
人にはうまくいくときとうまくいかないときがあります。
うまくいかないことを目の前にすると、
どうしてうまくいかないのだろうとか、
そうして自分は進歩しないのだろうか、と
自己嫌悪に陥ったりすることもよくあります。
「マーフィーの法則を読むと、
目の前にあることは常に確率1/2で、
うまくいくか、うまくいかないかだと
書いてあったりします。
どんなに努力しても確率が上がらないのであれば、
いつまでも挑戦の半分は失敗するということになります。
それでは何も進歩していないかというと、
挑戦した半分は成功として残り、
残りの半分は経験として残っていくんじゃないかと
思っています。
全く成功の確率が変わらない二人の人がいて、
二人は挑戦した人と挑戦しなかった人だったとすると、
確かに長い時間をかけても二人の成功の確率は変わらないのですが、
成功した数と経験した数が変わってきます。
そして成功の確率が変わらないとしても、
挑戦した人は新しく挑戦する数が減り、
成功する方法を選ぶことができるようになっていきます。
どんどん新しいことに挑戦しなさい、という人がいて、
しかしこの台詞にはどこか説明し忘れた箇所が残っているようで、
それが何であるかをずっと考えていました。
それは、挑戦して得た結果は、再利用でき、
2回目はずっとうまくいくようになる、ということではないかと
思うのです。
情報の価値は再利用ができるかどうかで決まる、というところに
最近注目しています。
挑戦には、その結果を再利用することで
たくさんのおまけがついてくるのです。
清水國明というひとがいて、
多芸多才でたくさんのことに挑戦し、
アウトドア生活やバイクレースなどを経験しています。
しかし、彼が話す
「常に新しいことに挑戦していきたい」という言葉は、
格好はよくて、しかし時々振り返る勇気を忘れてしまうのではないかと
考えています。
今年の目標は、再利用ができる基礎固めです。
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