生産力は既に過剰である
近くの空き地に桜が咲いていました。
紅梅の苗木がひとつ欲しいなと思う今日この頃です。
この間実験植物園で見た
不思議なサボテンの木も1本欲しいです。
もったいないの言葉を残そう、というニュースがありました。
使えるものは再利用しよう、という試みは
地球の資源を無駄遣いしない、という意味で重要です。
でも、と思います。
生産する仕事がなくなる人はどうしたら良いのでしょうか。
機械の力によって、
人はものすごい生産力を身につけてしまいました。
それによって世界中に物を売ることになったのですが、
需要がないと売れません。
アインシュタインの本の中に、
手段は完全になったのに、肝心の目的が分からなくなったところが
今の世界の特徴でしょう、というくだりを見て、
なんだか似ているな、と思いました。
もったいない、だから物を大切にしよう、
しかしそれでは仕事のない人が増える、とするならば、
仕事が欲しい人は生産によって食べていけないか、と
単純に発想するのも仕方がないと思います。
これまでの信号電球の交換費用を頼りに事業を続けていた人たちが、
ダイオードランプが信号に使われると寿命が延びすぎて困る、として
故意に寿命を従来の10倍に押さえたのだそうです。
気持ちは分かる、とするのか、
そんなことは許されない、と思うのか、
意見は分かれます。
しかし今まで国にぶら下がってしまい、
新しいものを開発する努力を欠いてしまったことは
認めなければいけません。
生産力を落としながら、それでもたくさんの人が生きられるようになるために、
情報産業や科学、発明、芸術、文学などは
決して機械に代替できない想像の世界として
これから大きくなっていくと考えられます。
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