火曜日, 3月 29, 2005

私たちは、みかんの皮を新しく発明しました、と言っているにすぎない

先週後半は野田の東京理科大まで
物理学会を聞きに行っていました。

カモミールのお茶で一息入れました。
Windowsのショートカット本とかを買って
少しパソコンをさわるのが楽しくなってきた今日この頃です。

ちょっとおやつに、と思って
でこぽんを持って行きました。
みかんは大きかったので手に持ったまま行ったのですが、
オレンジの皮は見た目に鮮やかだし、
皮は柔らかいので包丁はいらないし、
皮は自然に帰るので帰りは手ぶらだし、
ただの皮なのですがとても便利だと思いました。

エコロジーというのは、
流行としての側面と必要性としての側面から成立した分野だと思っています。

必要性というのは、資源が少なくなった、というよりは
「ものを捨てる場所がなくなった」ことに起因するものです。
例えば仏壇であれば、手放すときに「お焚き上げ」という儀式を通して
仏壇を「捨てる」ことができるのですが、
今の世界では物を手放す場所が「ゴミ箱」しかない状態で、
捨てること自体に罪悪感を感じてしまうことがよくあります。

例えば結婚式では引き出物は大きくて重いほうが良いとかいうと、
なぜか食器セットだったりするのですが、
普通の人付き合いをしていると、一人暮らしなのに
食器セットが3つぐらいあったりして、
なんだか困ってしまいます。

それでいてこの食器、お祝いの気持ちが入ってしまっているので
自分の手で粗大ごみに出すという連想ができず、とりあえず
食器棚の中に箱ごとしまわれていたりします。

大なり小なりこれはみんなが困っている出来事だと
わたしは考えているのですが、
それでも「縁起」を大切に、の一言で押し切ってしまう世界は
お幸せなようないびつなような感じがします。

もちろん縁というものは大切にしたいもので、
自分ではどうしようもない「他力」の世界に敬意を表すための
縁起の考え方は人として自然だと思いますが、
人間という実体が幸せになるためには
縁起で押し切ってはいけないものもまだあるんじゃないか、というのが
遠回りした今日の感想です。

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