水曜日, 3月 30, 2005

ノーベル賞にはしごをかけられるか

食べ物はあまりまとめて買いませんが、
時折本をまとめ買いします。
面白そうな本、というのは
なんとなく目に留まっていて覚えているものです。

小柴さんの研究半生を綴った本、
「物理屋になりたかったんだよ」を読みました。

例えば、研究をしていると
「その研究はノーベル賞取れる?」と聞かれることが時々あります。
ノーベル賞というのは誰もが知っている賞という意味で
インパクトがあるものですが、
受賞の対象となるには
「核となった研究が大きな結果を生んだ」
という後追いの風が必要だということはあまり知られていません。

林檎が欲しい、と思えば
今ならスーパーに行く、という具体的な行動を思い浮かべますが、
ノーベル賞が欲しい、と思っても
いったい何をしたら良いかはあまり良く分かりません。
この意味で、ノーベル賞という言葉は通常抽象的なのです。

ノーベル賞を取るためには、「その前段階」が必要です。
おそらくそれは「研究成果」を上げるという梯子が必要です。

ところがこの表現でもまだ抽象的で、
「研究成果」を上げるためには、
「研究を支えるための実験装置や人材」が必要です。

さらにこの表現でもまだ抽象的で、
「研究を支えるための実験装置や人材」を得るためには、
「それに至る実績と新しいアイデア」が必要です。

まだまだ説明を具体的に掘り下げていくと、
「それに至る実績と新しいアイデア」を得るためには、
「実績を上げる努力と時間」が必要です。

「新しいアイデア」はなんだかひらめきのように思われますが、
実際には実験の結果を見ながら練りあがってくるようなものです。
そのためには小さな仕事でも良いから
自分の手でやってみる、というところが
最初のスタートであるように思います。

目の前に林檎がある、という状況があって、
その林檎からスーパーの名前しか思いつかないか、
あるいはその林檎から宇宙の成り立ちを想像できるか、
その違いは大きいものです。

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