火曜日, 3月 15, 2005

本はなぜ必要か

気分や状況に関係なく、
いつでも好きだと思うものやことがあります。
水をよく吸うタオル、霧吹き、シャワーを浴びること、
パッションフルーツ、火を起こすことです。

今日は炭の火に当たれて幸せな気分でした。

情報化社会、という言葉は現代を表す言葉として
広く使われていますが、
情報が必要ではなかった時代なんてそもそも存在しないのではないか、というのが
最近の感想です。
どんな時代でも、自分の経験から導かれたことを伝えることに成功したものが
次の世界を作っていけるのだと思っています。

今日はメディアの話です。
この日記はネットを通して人に伝わりますが、
紙に纏められれば本になります。
ネットで本が探せます、とはよく言いますが、
それなら本の中身をデジタル化して見られるようにすれば良いじゃないか、と
時々思っていました。

確かにどこでも見られるという点では
ネットで見られるのは便利なことですが、
移動中の車内でパソコンを持ち歩くわけにもいかず、
液晶の画面はまだ紙の印字よりも読みにくいので
自然と本を選ぶようになります。

もうひとつは、機械はどこかに「壊れるかもしれない」という心配が
残っている気がするのです。
本はページが折れ曲がっても読めますが、
機械はデータが読み出せないと修理する手段がすぐ手に入らないのです。

ということは、安心して使える情報端末に必要な条件の一つは
「どんなに手荒く扱っても壊れない」という安心感であると考えます。

G-SHOCKが好んで使われるようになったのは、
機械でありながら極めて壊れにくい条件を持てたからだとも言えます。

もうひとつは、ページをめくった量によって
自分がどれだけ読んだかを質量的に把握できることにもあります。
人は五感によって知覚できることを重視するからです。
情報端末は勝手に質量が増えたりしません。

本は質量によって情報を支えているために必要とされるのであり、
デジタルデータが質量を伴って知覚されるようになるまでには
もう少し時間が必要かもしれません。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

こんばんは。おひさしぶりです。

ソニーの「リブリエ」が欲しいと思いながらも踏み切れずにいます。
私の鞄には常に文庫が2冊以上入っているので、荷物は軽くなるし
買うか悩んだ本も気軽に買えて世界が広がるはずなのですが。
やはり鞄に投げ込んだら壊れてしまいそうだし、お風呂で読むこともできません。

友人にはデジタルだと味気ない、と言われますが
そのうちに本の役割は装飾のみになるかなと思っているので、あまりそうは感じません。
ディスプレイで読む活字に抵抗感がない私には
利点の多い「リブリエ」なのに、「壊れやすいかも」の一点のみで購入には躊躇してしまう。
携帯電話ってすごいなと思った週末でした。
(って何が言いたいやら・・・ごめんなさい)

とりさん さんのコメント...

お久しぶりです。お元気でしたか?(^-^)
「リブリエ」、ネットで調べてきました。
せっかく性能が充実しているのになぜ「貸本」の形式なのか今ひとつ理解できない感じです。
ちなみにわたしはCLIEを使っていますが、もし読書が「ディスプレイ活字」で構わなければとてもおすすめします。
操作も軽いし、手帳としても使えますよ。