土曜日, 7月 02, 2005

最良の「選択」を

わたしにとってちょうど良い大きさの
シミュレーション・サイズという考えがあって、
概ねそれは1時間ぐらいで終わってくれるものです。
3分で返事が戻ってくるものは気が落ち着かないし、
1日かかるものは退屈なのです。

なんでも最速で解く計算機だけじゃなくて、
ほとんどの計算を1時間かけて終わるように
調節してくれるプログラムがあったら
人間と付き合いやすいかなと思ったりします。

ラジオ中国語を聞いていますが、
1日のうちに少ない話題を繰り返し聞くようにして、
多くの話題を聞き過ぎないようにしています。
記憶は似ているものを入力されると
かえって混乱して覚えられなくなるのだそうです。

プールのおじさんと話していたことがあって、
わたしは進歩のために今の限界を見定めることが必要だと言い、
おじさんは諦めに繋がる限界はないと信じていたいと言いました。
恐らく良く似た「目標の立て方」だと思うのですが、
表現はさかさまです。

徳間書店「プロ論」のなかに、
直感を信じて動いていこう、というくだりがあって、
しばらく考え続けています。

直感が「世の中に沿う」結果を出す場合には
それを信じるとうまく行きますが、
「世の中に沿わない」結果を出す場合には
信じるとうまく行きません。

直感も訓練だとふと思います。
人間は最初から固定された世界観を持って
生まれてくるわけではないからです。
そして直感を信じて動いた結果が
いつも散々な結果だったら、
直感を信じたくなんかならないはずです。

直感を信じるのではなく、
信じられる直感を持つ、のほうが正確な感じがします。

難しいのは、
「瞬間的に決める」直感は
一体どうやって訓練されるのかが分かりにくいところだと
考えます。
分からないものは分からない、のままでは手も足も出ないので、
一歩踏み出す方向が必要です。

直感は、それを思いついたずいぶん後になって
その理由が説明できるようになることがあります。
直感と、それに基づいて動いた結果をよく考えれば、
自分の直感は無意識のうちに何を思ったのかが
分かると考えます。
これを繰り返すと、自分の無意識を
調節できそうな気がしています。

直感で動く場所にも注意が必要です。
たとえばいくら大志を抱いているからと言って、
いきなり手持ちのお金を集めて、
ラスベガスに飛んで大儲けしようと思っても
それはほとんどうまく行きません。

直感で動いていい場所は、
十分に経験が得られるが、
動いた結果どうしようもないことにならない所、だと
思っています。

この「どうしようもならない」場所の意識が
人によって大きく違うのですが、
直感を良く調べたいときには
自分が普段ブレーキをかける一歩先までは
踏み出すといいと思います。

日本人は安全が好きなので、
大抵、自分が限界だと思う一歩先だったら
どうしようもないことには到底ならないからです。
そして経験が積まれる事で、
直感で動ける範囲が広がっていけば、
次第に限界自体も広がっていきます。

ある局面において、
すぐに決めなければならない箇所というのは
多く存在します。
「ザ・ゴール」の本の文章ではないのですが、
散発的でも瞬間負荷が最も大きいラインが
ラインの成否を決める生命線で、
ここに相当量の余裕を持たせておく必要があるのは
人も同じです。

散発的でも瞬間負荷が最も大きいライン、というのが
人間で言えばちょうど直感が要請される局面であり、
そうすると
直感は相当チューニングされていなければならないと
考えが導かれます。

加速器にはチューニングと呼ばれる作業があって、
これは目的のビーム出力に近づけるために
さまざまなパラメータを調節することです。
多変量の最適化が試行錯誤で行われる、
これは実際の現場もシミュレーションも全く同じです。
線形方程式は確かに最初から最後までが
矛盾のない一つのストーリーになりますが、
人生は線形ではないのです。

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