水曜日, 6月 15, 2005

「動物」実験

普段あまりテーマに沿った思考はしないので、
議論が広がりそうなテーマ「動物実験」について
考えを展開してみようと思います。

目次:
1/8「動物」でなければいいのか
2/8化粧は必要なのか
3/8動物「愛護」の立場から
4/8動物実験の必要性
5/8case1:試験的治療における医療の現場から
6/8case2:放射線安全において被爆者が果たした役割
7/8人間と動物の優先度に差をつけるか
8/8結論:賛成と反対という2極を超えて

■1/8「動物」でなければいいのか
動物実験反対の運動というのは、
主に都会の駅前などで展開されているものを目にします。
刺激性の実験のために角膜を観察されるウサギや、
毒性実験のために大量の医薬品を注入されるマウスなどの写真は
どれも目を背けたくなるものばかりです。

目を背けたくなる理由は、動物は人間と「同様の」
生体システムを持っているため、
刺激や痛みに対して反応する動作が
苦しそうに感じられるためです。

ベジタリアンという、動物食をしない人たちは
野菜を食べるか、ガンジーのようであれば
果物とミルク以外を口にしないと言います。
しかし野菜や果物の細胞は生きているわけで、
殺生をしていないかということにはなりません。
細胞で実験をしても、植物で実験をしても
生命を利用していることに変わりはありません。

「せめて動物での実験はやめておこう」という意識と、
「動物は明らかにかわいそうだからやめておこう」という意識は
分けられなければならないと思います。
「動物だから可愛い」というのはあくまで人間の主観です。

■2/8化粧は必要なのか
主題が「化粧品の動物実験」に限定されているので、
「化粧品はあくまで生存に必要ない嗜好品であって、
人間の都合のために生命を犠牲にしてはならない」という暗喩を
どう捉えるかどうかが論点のひとつになると考えます。

生存の意味には2種類あって、
人間という種で現在生まれているものが生き残る、というタイプと、
自分の遺伝子を後世に引き継ぐ、というタイプがあります。
社会的立場からの人間は前者として捉えますが、
生物的立場からは後者として捉えます。

女性が美しく飾りたいと思うのは
自分の種を残すのに理想の相手を捕まえたい
欲求に動かされている側面を持っており、
理不尽と呼ばれていても美しいものを
選別するシステムが機能し、
それに命をかけている人がいる以上、
化粧に対する欲求が失われることはないと思います。

■3/8動物「愛護」の立場から
可愛がる、という感覚は擬人的なもので、
動物なら何でも可愛いと心から言える人が
動物愛護というのは当を得るのですが、
マスコットのような動物だけを愛護することを
現実には指しているのではないかと思います。
クジラを保護しようという理由は、
クジラには高い知性があるからと答える人がいますが、
知性の定義は人間が定めたものであって、
学習能力は崇高さの指針でもなんでもありません。

■4/8動物実験の必要性
それでも動物で実験を行わなければならないのは、
試験管実験や非生物実験では
どうしても分からないことがあるからです。
人間でさえも治験という形の人体実験が
日々行われています。
そして人間そのもので医薬品テストができないと
決めてしまうからこそ、動物が援用されるのであって、
動物実験を廃止してしまうなら
健康にリスクの高い物質に囲まれ、
悲惨な結果が起こることを覚悟しなければなりません。

およそ全ての実験には二つの種類があり、
ひとつは「何かが起こる可能性」を調べること、
もうひとつは「何かが起こる確率」を調べることです。
ある薬品が毒物であると発見される段階が最初ですが、
その後は「毒であると分かっているもの」を意図的に試験体に与え
どの程度の影響があるのかを定量的に調べなければ
科学的に何かを解明したことにはなりません。
一般に動物実験で「無用に大量の動物が試験される」と
喧伝されるのはこの精度検証に使われる動物たちのことです。
また、役に立つが毒であることが分かった場合、
それを無毒化する方法を探しているうちに
新しい使い方が見つかることもあります。

続きは次回。

1 件のコメント:

とりさん さんのコメント...

>無明さん
Broggerへの登録までしていただいてコメントを頂きありがとうございます。
この主題は、以前MEMORIZEを使っていた方がテーマとして掲げてあったものです。

文字を書き進めながら、
無明さんの日記に大きく影響されている自分を発見しています。
後半をご高覧下されば幸甚に存じます。