日曜日, 6月 19, 2005

「動物」実験 後編

日本なのに「その家のカレー」というべきものが
各家庭あるいは各個人にあります。
わたしの「カレー」は
ゴールデンカレーの中辛で牛すじ肉を煮込んだものと
決まっています。

ゴールデンカレーはほとんどCMに出ない商品で、
これが一番という人を聞いたことがないのですが、
この間偶然ゴールデンカレー中辛好きの同志を見つけて
大変嬉しくなりました。

さて後半です。

■5/8case1:試験的治療における医療の現場から
「脳低温療法」片岡喜由を読んでいると、
試験段階にある治療である低体温療法についての
記述がありました。
文中で、重篤症状に陥った患者の状態回復に
脳低温療法が有効である確証があり、
これを正式な保険適用医療にするために
治験を行わなければならないが、
治療が成果を上げていることを数値的に示すには、
「コントロール群」と呼ばれる、
治療のための手段以外の条件を等しくした群での
結果をあわせて測定しなければならない、というくだりがありました。
このとき、コントロール群には
重篤症状でありながら脳低温療法を「意図して行わない」ことになり、
最善を尽くすのが医療である趣旨に反するから
治験が成立しなくて苦労している、と続いていました。

有効な確証があるのなら
治験を例外的に免除できないか、と
考えるかもしれませんが、
脳低温療法にしても
「なぜうまく行くのか」「どれくらいうまく行くのか」を
定量的に記すことができない限り、
リスクを見積もりながら応用することができません。
試験段階で新しいことに挑戦しないのは失敗ですが、
応用段階で新しいことに挑戦するのは準備不足です。
情報を残す、ということは、
後の人がリスクを負わないよう責任と検証義務を負う事です。

■6/8case2:放射線安全において被爆者が果たした役割
現在医療や放射線物理で広く使われている
放射線の安全規定は、
原爆によって受けた放射線量をシミュレーションで検証し、
被爆した方の治療成績と照らし合わせて、
安全な被爆量の上限を定めています。
わたしたちは陰に陽にこれらの方々の恩恵と、
その現場でデータを集め続けた方の努力を受けているからこそ
大きな事故がなかなか再発しないのです。

「おかげさま」という言葉があって、
これは自分に良い影響を与えてくれたけれども
自分の意識に及んでいない方全てを指すと思っています。
そしておかげさまは現在生きている人だけでなく、
過去に結果を残してくれた人を含めていたいと思います。
そのうえで、現代の人間は
「後世の人間のために」何らかの結果を残さなければなりません。
安全に暮らし、罪に手を染めない行動に終始するだけでは
責任を果たしたことにはなりません。

■7/8人間と動物の優先度に差をつけるか
どのような宗教であっても、
人は生きていく過程で罪を負う、ということを
説明しています。
これは神の存在を証明することで説明するのではなく、
生きるために食べる、という具体的行動の中に
血を流して動物の命を頂く事に対する
厳粛な気持ちを持ちたくなる、ということなのだと思います。

この意味で、動物だから知性が低い、
人間だから高尚である、という意識を一度外して、
人も生き物であり、
生き物は生きること自体が目的化した存在である、
だから人間は生きるために他の存在を使わせてもらう、という
事実に正直に向き合うことができれば、
欲や美という「人間が定義したもの」から
距離を置くことができると考えます。

8/8結論:賛成と反対という2極を超えて
最後にこのテーマに対する
自分の結論を述べなければなりません。
動物実験は賛成か反対か、
どちらかを必ず選べと聞かれたら
わたしは賛成をとります。
動物でなく人自身で実験をするわけにはいかないからです。
それが、「生き物はその種が生き続けることを目的とする」ことに
忠実に従い、人という生き物が性質として持つ
社会性に沿うことだと考えるからです。

しかし賛成をしたからといって、
文字面だけ見て、どんどんやりなさいと
奨励しているわけではありません。
わたしたちは動物の命によって自らの命を
安心させていることに感謝しなければなりませんし、
自分たちが厳粛な気持ちをもって
生き物の命を使わせてもらう事実の重みとその痛みを
自らが進んで引き受けなければなりません。
それが「共感する」という性質を持った人間の意思に
矛盾しない方法だと思っています。

動物実験を行う部局には慰霊碑があり、
決まった時期にそれらの命に感謝を捧げます。
気持ちには形がないからこそ、
こういった目に見える表現も必要です。

そして科学という、
再現可能な事実のみを残していく
使命を負ったものは
捧げられた命から最大の結果を引き出すよう
努力しなければなりません。
その結果は世界に対する偏見や疑問から
自らを解放し、一人の人間として
この世界を見つめる手段を提供するでしょう。

以上、動物実験に対する意見を終わります。

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