木曜日, 9月 15, 2005

1分以内は全て「同時」です

近くのネットカフェには
最新式のマッサージチェアがあって、
腰の下のほうやふとももまで指圧球が付いています。

「同時」の概念を変える、という作業を始めています。

物理的な「同時」は
本当に小さな瞬間でも同一ではないのですが、
人間にとっての「同時」は
概念によってずいぶん変えられます。

毎年終わりごろになると聞かれる
「1年って過ぎるのが早かったよね」という台詞は、
1年という時間を瞬間のように扱っている証拠です。
1年前のことを思い出すことと、
昨日のことを思い出すことの間には
頭の働きとしては何の違いもないのです。

ところが1年という長い時間を「同時」と思うには
かなり無理があります。
1年の間では、活動的な日も、ふさいでいる日もあるからです。

かといって全ての瞬間が同じではない、と
真剣に思うと、思考がまとまる自信がなくなります。
少しずつでも変わっていく自分のどこに
自己同一性が求められるか自分で疑問になり、
まるで狭い空間の中で追い立てられて
逃げるように走り回るような
日々のイメージができてしまっています。

「いまを生きる」という言葉を読んでも、
「いま」の瞬間が非常に短い時間であったなら、
ナイフのエッジを渡るようなイメージにしかなりません。

人間は思考が前後できる、ということは
人間にとって「同一である」「いま」という時間は
過去と未来にそれぞれ1分ぐらいあると
みなしてもいいのではないだろうか、と考えた瞬間に
気分が落ち着いてきました。
思考が少しでも過去へ戻って、
方角を変えて再生できるのなら、
見てしまった嫌なことも少しだけなかったことにできるのです。

現実の世界でも時間は不確定です。
量子論から導かれた不確定性原理と呼ばれる現象では、
非常に大きいエネルギー幅を持つ不安定な世界では
時間のぶれが非常に小さくなり、
エネルギーの非常に低い状態である安定な世界では
時間のぶれは非常に大きくなります。

揺らぎ自身は不安定と受け止められがちですが、
揺らぎが許された世界はとても安定なのです。

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