火曜日, 9月 13, 2005

おめざとおやつを推奨します

二つの世界を知る、という作業は
下手をすると二つの逃げ場になってしまいますが、
うまく行けば相乗効果が得られます。
知るということはそれ自体が難しいと思う
今日この頃です。

朝ごはんにご飯と納豆と味噌汁、という
食事は栄養価的に見ると非常に素晴らしいらしいのですが、
どうもわたしの朝の胃には合いません。
食べ物を取り扱うのにもエネルギーが必要なせいか
起きてすぐにはたくさんの栄養価を取り込めないのです。

おめざという言葉を辞書で引くと、
子供が朝起き抜けに食べる甘いもの、とあって、
なんだか納得してしまいました。
ちなみにアジアのどこかの国では
朝冷たくて甘いミルクティーが出されるのだそうです。

朝の果物は金、とか言っていて、
ビタミンのせいもあるのですが、
多分甘いものは朝に合うことを指してるのだと
思います。

一時期友達が食事の代わりにお菓子を食べていたのを思い出して、
なぜ弁当ではなくてお菓子なのか不思議に思ったこともあります。

こういう断片的な記憶が繋がって
「朝は好きなお菓子を食べる」ということにしました。

やってみると胃は軽いし意識ははっきりしているし
調子がいいものです。
その代わり昼よりすこし早くおなかが空きます。

この間読んだ新聞記事で、
午後3時に食べたものは脂肪になりにくい、というくだりがあって
おやつは敬遠するものではなく歓迎すべきものかもと
思いました。

栄養学の世界というのは未開の部分が多くて、
定説になっているものが簡単に覆ることがあります。
コーヒーはガンを助長すると言っていたら
翌年にはコーヒー4杯でガン抑制なんて言っているのだから
鵜呑みにすると振り回されてしまいます。

オーダーメイド医療という考え方も、
カイロプラクティックの概念も、
漢方の証判断も、
人間が1種類の方法では取り扱えないことを指しています。
これは恐らく、人間も進化の過程であって、
さまざまな種類の人間の中から
「次の新しい生き物」へと緩やかに変わって行く途中の
試行錯誤の段階だからかもしれないと思っています。

聖書の中では、
人間は本来完全であったが、木の実を食べて不完全になったという
くだりがあって、
不完全であることは許されざる罪の象徴と捉えられるのですが、
もし最初から不完全に作られていたとしたら、
矛盾や葛藤も人間のために用意されたものかもしれないなと
ふと思います。

弱い相互作用にカイラル対称性がない、ということを
学者たちは「神が傾いた塔を作った」と表現しています。
人体も見た目は対称で内部は非対称です。
すべてが対照的で美しい世界がこの世の理想の姿ではなく、
もともとどこかが歪んでいるのがこの世の中の最終形だとしたら、
それはなんとなくほっとする世界なのかもしれません。

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

ごぶさたしています。

頑固な納豆、味噌汁、玄米派であるぼくも
数年も続くと少し飽きてきました。

ぼくが学生時代スポーツをしていた頃は
運動中の飲料は「腹が痛くなる」と厳禁。
それが今では脱水症になると逆にガブガブ
飲んでいますよね。栄養学というよりも
それだけ人間って未知で不可解な存在なん
でしょうね。

今年の夏は、以前教えて頂いた亜鉛の
サプリメントでようやく乗り越えること
ができました。

とりさん さんのコメント...

お久しぶりです。
ご寄稿ありがとうございます。
無明さんの日記には
欠かさず3食のメニューが書かれていて、
いつもおいしそうだな、と思うと同時に、
仕事をしながら食事を整える手際のよさに感心しています。
亜鉛サプリ試されたのですね。
少しでも健康が続きますよう願ってます。

とりさん さんのコメント...

ちなみに、
「朝ごはんは納豆と味噌汁」は
本当は到るべき理想だと思うのです。
問題は小生の胃にありそうで、
にんにくとか強壮な食材は
どうも胃に合わないんです。
健啖家でありたいものですね。

匿名 さんのコメント...

朝に
おやつ
ワタシも
一票

食欲のない
朝に
チョコを
食べたりしてます



ところで
mixiなのですが
招待制になっていまして
会員というか
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