水曜日, 9月 28, 2005

スパムメールのはやりすたり

デスクワークの日々が戻りました。
季節変わりの風邪が流行っている、と聞くだけで
どうやら風邪を引いてしまいました。
風邪を引くと頭の回転がよくなる、
どうもこのことは変わらないようです。

破壊型の幸せと、調和型の幸せについて
小さい頃ふと思いをめぐらせたことがあります。

破壊型の幸せというのは、
どちらかを幸せにするとどちらかが幸せにならないもので、
調和型の幸せというのは
どちらも幸せにできるものです。

破壊型の幸せが必要である場合、
すべての人が幸せにはなれないことが導かれます。

一見調和型の幸せを求めているようで、
破壊すること自体に幸せを見出してる人もいます。

時々思いますが、
食べ物を食べる喜びというのは
多くは破壊衝動によるものだと思います。
緻密な組織でできた食感を楽しむ、というのは
まさに何かを壊す楽しさから来ています。

世界は壊していいとされるものが減りました。
壊してはいけないようにできているとさえ思います。
それで破壊衝動は
どうしようもないベクトルを向くことがあります。

責任の重いアメリカの裁判官、外科医が
幼児偏愛や性的倒錯に陥る、などという話は
よく現れます。
彼らは「破壊することが許されない」ものばかりに
囲まれて暮らすからだと思っています。

破壊衝動自体が人の持つ避けられない本質であるならば、
法的に許されていて、しかも他の人間に害のない、
破壊衝動を満たす方法とは一体どんなものがあるのでしょうか。

長い寄り道をして
タイトルのテーマへと向かいます。

スパムメールは、メールができてすぐの頃から
やってきました。
携帯が受け取れる情報量が増えるにしたがって、
メールの数は突然多くなりました。

最初からあるのが
露骨な表現のタイトルと成りすましメールです。
法規制が整う前には
「間違って登録した可能性があり、
返信しないと違約金を請求します」などの脅しがありました。

法がある程度整備された後では、
「ご紹介させていただきました」とか
「あなたは特別です」とか
持ち上げるようなタイトルのメールになってきました。
確かに届いたときの印象は和らぎましたが、
スパムメールに変わりはありません。

ここ数ヶ月ぐらいは、男性がお金を払うタイプではなくて
女性が援助するタイプのものも増えています。
運営業者にしてみれば
収入になればどちらでもいい、ということなのでしょうか。

電子メールに代わる通信手段に
何が選ばれるかはよく分かりません。
ただ、それは音声や映像といった時間を要するものではなく、
やはり文字伝達によるものだと思います。

リテラシーの必要な時代は
これからも長く続きます。

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