土曜日, 9月 03, 2005

道行きの決め方

朝日を浴びた加速セルです。

10月から実験の新たな戦力に加わります。

なくなったのは終身雇用、という実績ではなく、
終身雇用で人集めができるイメージ、だと思っています。
戦後から高度成長の間が45年、
会社員の勤続年数は約40年だから
完全に終身雇用できた世代の数は5年間分だけです。

しかしイメージがなくなってしまったので
会社側が「もう終身雇用の努力はしません」と放棄してしまったのは
人を大切にすることよりも
会社が生き残ることを選択した結果です。
法人、とは法の上で全く人と同様に扱われ、
簡単に死ぬことが許されないものになっています。
そんな会社は信用や忠誠心の源も失っているわけで、
選択を誤った会社=法の人は
数十年のスパンで大きな変化が表れるだろうと考えています。

今日は道行きの決め方の話です。
ある日の日記には書いたのですが、
おそらくブログ引越し前の日記です。

世の中の事象は、
原因と結果が分かっていて、
その過程を調べるのを内挿と呼び、
現在までの結果から
未来の結果を調べるのを外挿と呼びます。

内挿にはいくつかの選択肢があるだけですが、
一般に外挿はあまり当たりません。
未来のことが分からないのは外挿をするからです。

外挿が分からないなら、誰か結果を出した人に
聞いてみよう、とその時に言葉になったわけではありませんが、
自分がなりたいものに困ったときに
知っている教授に片っ端から
「どうしてこの道を選んだのか」を聞いたことがあります。

電気の教授は
「小学校の頃の理科の抵抗の計算が得意だったから」と言い、
メカトロニクスの教授は
「こどもの科学の工作が誰よりも好きだったから」と言いました。

聞いて回りながら、
どこかで職業との運命の出会いをしたのではないかと
期待していたイメージからは遠く離れて、
普通の人でもあるような、ちょっとしたきっかけを
大切に温めたような話ばかりをたくさん聞きました。

ちょっとしたきっかけ、とは
人が聞けば小さなきっかけのお話で、
しかし自分に起こったきっかけは
自分の未来を変えてしまう出来事になるんだ、と
そのとき思いました。

それから始めたことは、
新しく何かを覚えたり行動したりすることではなく、
自分にとって何が面白くて、
自分は何が好きだと思えるのかを
小さなことまで思い出してみることでした。

仕事にはどんなところでもしんどい時があって、
それは人間関係であったり勤務時間であったり
将来性であったりさまざまなのですが、
その仕事に意味を見出すことができれば
ひとつづつ越えられると思います。

しかし越えられる、と書いてみたものの、
自分には物理も機械も本気で嫌いになった時期が
1年間以上ありました。
こんなことをやって数十年過ごしたところで
一体何のためになるのかさえ分からないじゃないか、と
心の底から思ってしまったのです。

社会にとっての科学は偏執狂の手中にある斧のようなもの、
とはアインシュタインの言葉です。
科学を進めた先にある世界が何をもたらすかは
それを用いる人たちに委ねられます。
人が科学を使う限り、その用途の一つに
兵器転用が必ず表れます。

仕事にはどこかで共通の性質があって、
それをやったからといって100%の純粋さで
世界を幸せにする方法というのがないと最近は思います。
どこかに反作用があって、時々によって
自分であったり周りの人であったり、
時にはライバルや商売敵と競り合ったりしなければなりません。

それでも自分は仕事をするのであれば、
選択によって最大公約数に近い人が
良い効果を得られるような方向に向かいたいと
今は思うのです。

これは大災害が起こったときの救命の方法で、
軽いけがの人から治療する、という決まりがあって、
それは最大公約数の人を生きながらえさせるための決断に
どこかで似ているような気がします。

非常時などないほうが本当は良くて、
できる限りの手を尽くすことが人道だと信じますが、
人ひとりの力はあきれるほど小さく、
懸命な選択を繰り返すことがせいぜいです。

その仕事によって、自分は誰かの罪を負うかもしれない、
そのことを申し訳ないと思いながら、
人である限りこの世界のすべての人に
同時に幸せや安息は訪れないけれども、
それでも世界には昼と夜があるように、
持ち回りで幸せな日々が迎えられるようにすることが
人として望める精一杯かなと考えています。

そして「自分の好きな道を選べる」ということは、
非常時ではない自分に与えられた幸せな選択であり、
幸せな道が何かの選択で選べると考えるよりも
その道を歩いていくことで人と自分を幸せへと連れて行く、
そんなイメージが持てればいいなと思います。

夢の大きさは持った本人にしか分からない、
だから、どうか自分が持った夢はつまらないなんて思わずに、
大切に持ち歩いてください。

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

おひさしぶりです
とりさんの
ニッキは
時々
読ませていただいていました


いつも
読むたびに
とりさんの
自分に対する厳しさというモノを
感じるコトができます

ニッキの内容は
ワタシには
ちょっと
難しいですが
少しでも
読み取れるように
声に出して読んでみたりしています

つい
最近
自分の考え方が
かわるような出来事がありました
(要は失恋ですが)
気がつけたというコトを
忘れないように
大切にして
自分革命したい

思っている今日この頃です

そんなわけで
また
とりとめもなく
お邪魔します

匿名 さんのコメント...

ほっし~です☆
初めてコメントさせていただきます(^o^)/

とりさんの日記を読んだあとは、いつも少し考えさせられます。

道・・・

私はどんな道を歩んでいくのでしょうか。

「昨日、リクナビに登録したー」
「来月、就職説明会あるみたいよ。」
そんな友達の言葉に踊らされています。

今の私にできることをしよう!と思いながら、
やっぱり他の子と比べてしまいます。
マイナスの部分なんて、見たくない!と思いながら、
やっぱり気づくのは自分のマイナスな部分です。

そんな感じで過ぎていく毎日に罪悪感を覚えつつ、
行動できない自分に苛立ちを覚えたり。。。


・・・なんか、文章にすると、私がめっちゃ凹んでるみたいですね(笑

とりさん、大丈夫です!
私は結構元気です!!

23年自分として生きてますから、
私がどういう人間なのか、それなりに分かってるつもりです。
そんな私に会う職業は何か、今はしっかり吟味する時だと思っていますo(^ー^)o

では、台風にお気をつけて。
おやすみなさーい☆ミ

とりさん さんのコメント...

>えすかさん
お久しぶりです。
どこかで日記は続けてありますか?
時々訪れて下ってありがとうございます。励みになります。
自分の考えが変わる、というところを読んで「朝に道を聞けば」ということわざの意味について考えました。
変わった自分はもとの自分ではない、というところが面白いですね。
変わる自分を楽しめたらいいと思います。

>ほっしーさん
こちらでははじめまして。
日記読んでくれてありがとうございます。

人の事が気になって焦ってしまう、というのは本当に良くあることです。
やっぱり同じ境遇の人たちが行動で結果を出しているのを見ると、自分にも同じことをしなければ、しかし自分ができることはまだ少ない、とどうしても考えが後ろ向きになります。

「仲間」=「多数の人」です。
噂とはたくさんの人たちの行動の結果であって、多数の人の行動結果と自分のしたこととを比べるより、ほっしーの持ち前の力で突っ走ってしまうほうがいいけっかがでますよ(^-^)