ご褒美をもらい損ねた人たち
小中学校で踊ったのは
ラインダンスじゃなくてタップダンスじゃなくて
なんだっけ、と思い出したらフォークダンスでした。
フォークダンスというとどうもぴんときませんが、
Folk=民族の、と感じると
なんだかおしゃれな感じがします。
バブルは、
途中で終わってしまったフォークダンスに
似ていると思っています。
意中のあの人とはもう少ししたら踊れるから、
今は我慢して待ってみよう、
先生もそう言っているし、
こんな気持ちに近い感情で
お城のような会社は新入社員が
お殿様のような上司の命に右左と飛び回っていたのでしょう。
自分にもいつか日の目が来る、
だから今は辛い仕事でも頑張る、というのは
自分自身でそう思うときはいいのですが、
人を説得する種にはあまりなりません。
将来はどうなるか分からないからです。
情熱や、感動という本来つかまえにくい言葉に対して
歯車のかみ合った明確な輪郭を与えるのは難しいものです。
ともすると情熱や感動の下支えになる実体が存在できずに
すぐに浮ついた言葉になるからです。
最近の啓蒙書は
・数年で数千万から数億稼げるか
・情熱を持って毎日を過ごす
かのどちらかに分類できる感触があります。
どこかで「我慢だけさせられて、
ご褒美にはありつけなかった」と思っている人が
たくさんいるのだろうか、と思うことがあります。
そういう人たちは世界が変わることなど望んではおらず、
せめて自分がご褒美をもらえるまでは
変わらずにいてほしいと強く思ってしまうのだと考えます。
後悔とは
「こんなはずじゃなかった」という言葉と同義です。
期待をしなければ後悔をしない、と
使い古された言葉の意味について考えたい時があります。
ブラック・ジャックによろしくの中で、
治る見込みが数%という患者さんと向き合うときに、
可能性はあるが保証はない手段が手元にあり、
しかし法や慣習に縛られて「ベスト」と思うことを尽くせず、
「期待しなければ辛くはないんだ」とつぶやく場面があります。
期待を上手に持つのは、
アクロバットより難しいことなのかもしれません。
ご褒美をもらい損ねた人たちは、
どうしたら溜飲が下がるのだろうかとしばらく考えます。
そのご褒美を何かの対象に求め続けるのか、
ご褒美のない人生の部分は諦めるのかと
大きく分かれると思いますが、
できればバブルは元に戻らなくても
皆の気持ちが満足するような方法が見つかるといいなと思います。
株価が回復しないかとすがるように報道されていた声は、
曲が終わって意中のあの人と踊りたい気持ちだけが残った
あの日の自分に似ています。
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